常々、僕は「矛盾」について説こうとしている。否、寧ろ矛盾がデフォルトである、と──。
主観と客観・承 - 崇高な自己満足
最も主観視しがちな自身を客観視することが慣例化し、上質に洗練されると、「他人に尽くしたい」と云うすべての偽善的ベクトルが崇高な自己満足へと昇華する。
主観と客観・起 - 自己中心の矛盾
自己を認識する方法手段として、主観と客観とを用いて表現するならば、
自身であると思い込んでいる自身を、傍観者のように客観視している。
──と云えるだろう。
優しさの条件
現実に齷齪すると余裕がなくなる。
余裕がなくなると優しさがなくなる。
「あなたは蜂蜜の匂いがするわ」
「くまのプーさんだからね」
テイスト・オブ・ハニー。
優しいとロマンティックだ。
疼く
疼く。
やまいだれに「冬」と書く。
病的なまでに冬の季節。
芽吹く春を心待ちする。
そして、
ヤマアラシのジレンマ宜しく
その身を震わせる。
ほんのり残ったぬくもりが
真ん中辺りに滲みるから
やる方なくて疼くんだ──。
嗚呼、疼く…
ヒューマン・スクランブル
ひとりは楽だが味気ない。
ふたりは心地好く息苦しい。
三人居ればそれを稀釈してくれる。
それ以上は煩わしい。
ヒューマン・スクランブル。
憧れのドルチェ・ヴィータは、
ミルクパンの中で煮詰められる。
携帯電話爆裂粉砕 Gone With The Water について
私事で大変恐縮に存じますが、オレオレ詐欺の温床ともなったプリペイド携帯電話。
*第二世代機種ストレートタイプ:by やわらか銀行
ひょんなキッカケから長年愛用しておった訳ですが、この程、爆裂粉砕。
液晶画面に落雷の亀裂と火花を散らし、打てど暮らせど完全沈黙。
丁寧に解体された後、下水に流され、フツーに音信不通となりました。
再び、陸の孤島を味わうことを余儀なくされ、愛しさと切なさにまみれた追憶の日々が想起されました。
たとえ、離ればなれになろうとも
焦がれる心さえ繋がってれば──
そうだろ?
などと云う「以心伝心」的な雰囲気は綺麗事と理想論の極致なのです。
どんなときでも、
いつでも繋がってるのさ。。☆
乾いた現実の前で不即不離な非現実を成就させるべく、まんまとイーモバイルに鞍替えしましたとさ☆
まぁま、お互いの「寂しい」を埋めるためには双方の歩み寄りが必要な訳で(´∀`*)
アドレス帳は白紙同然なのですが、これからいっこいっこ埋めてきます。。(*´艸`)ウフフ♪
。。てな訳で、軒並み嫌がらせメール等届くと思われますが、素直に対応してあげてみてください。
でないと必要以上に寂しがります。
そんな感じで♪
言葉のサラダ - 派生
「言葉のサラダ」冒頭の論旨を踏まえると、一般的に「頭がいい」と云われる人らは、論理的固形物の
つまりは「高尚な併せ打ち」である。
成る程。論理破綻していなければ、大抵の人が渋々ながらでも納得する。
所謂「正論」のことを差しているのだが、正論は何処まで行っても正論だ。そこに「正論」の強さ、残酷さ、恣意的、独善的などが見え隠れするが、さておき…
僕は非論理的断片を多く内包している「潜在的クレバーエレメント」に惹かれる傾向にある。要するに、しどろもどろI want youばっちこいや、と云うことだ。
「分かるよ。対外的にうまく表現できないから浸透しないだけであって、僕にはものすごくよく伝わる。君の云うことは正解だね」などと。
知ったかシンクロ率が高ければ大抵が心を開く。
No more, no less
デザイナーは商品を作り、アーティストは作品を創る。
商品は購入者に依って意味を持ち、作品は所有者に依って輪郭を象る。
商品価値は金子の多寡で括れるが、作品価値は金子の多寡だけでは括り切れない。
購買欲をそそれないデザイナーには未来がない。所有欲をくすぐれないアーティストには救いがない。
「自称」と云う冠が「詐称」と云う冠に姿を変える。
望まぬメタモルフォーゼ。
──故に「無冠」でよい。
主流と反主流 - アンチイズム考
「右向け右」の対極として「アンチイズム」がある。つまりは「主流」を傍目に「反主流」と云うことだ。
順風満帆とは凡そ掛け離れた思想ではあるが、幼少の頃からこのテーゼに基づき、終始しているように感じる。
平たく云えば「反骨」と云うことだが、「魂のレジスタンス」と云う呪文を唱えてみる。