「さよならを云うのは少しだけ死ぬこと」
──確かフランス人の言葉。
蘇るのに僕は不要。邪魔なだけだ。
僕にはそう感じられたんだ。
いろいろ難しいかも知れないが、
優しさなりが伝わっていれば、
僕はそれだけでも嬉しい。
2007年1月 アーカイブ[10]
陰と陽
僕はデタラメな男だ。
「デタラメ」とは漢字を当てると「出鱈目」と書く。語源はサイコロ博打などの博打用語からだ。
出た目。
「鱈」は語感を良くするために添えられ変化したもの。デタラメとはこのことを差している言葉だ。
投げられた賽の目は誰にも予測できない。出た目がその世界を支配する。
だからこそ博打として成立するのだ。誰でも予測可能であればそれこそ「鉄板」。
これは競馬用語だが「銀行レース」などとも云われる。単純に「堅い」と云うことだ。
そうなることがおおよそ確実である、と予測されている状態。その「期待」はおおよそ外れることはない。
だが、鉄板であっても外す場合がある。これがギャンブルの世界を支配する「根底的な不条理」。この世界観は一般日常にもそのままスライドする。
日常とは不条理を掻い潜る奇跡の連続。
このように換言することもできよう。生きると云うことが、それだけで「奇跡」なのだ。特別に華々しいことを求める必要はない。
救世主
優秀な心療内科医には
更に優秀な心療内科医が必要だが、
救世主は救世主を欲さない。
そして、ヒーローは縋らない。
銀色の翼
形を持たぬ 透明な欠片たちが
紫煙に揺られながら 虚空を彷徨う
浮かんでは消え 消えては浮かぶ
幾星霜 経ったのか──
静寂に包まれた 深紅の海を抱く
透明な闇
独り静かに 銀色の翼を 研ぐ
無為
人生とは、無為を渇望する空虚な刹那を彷徨う過程。
やがて、その真理に到達し得ぬまま、その過程の幕を閉じる。静かに、或いは、ひっそりと──。
故に、人とは脆く儚く絶望的に哀れなのだ。
救い難いほどに救われない存在。
故に、足掻く、藻掻く、苦しむ、悩む──。
意識世界が侭成るうちは望もうが望むまいが悉く継続される。
無為を渇望する必然。
ないからこそ掲げられる至高の理想形。
それが我々の意識世界を巣食っている自然の摂理。宇宙の法則。
わたしは、大いなる自然の摂理、宇宙の法則をねじ曲げてでも、
地涯て、海枯れるまで、
あなたを想う──。
魂器必滅の必然を噛み締めつつ、
我が魂の命ずるままに──。