何だか心穏やかで、娘の帰りを心待ちにしている父親のような気分だ。
2005年11月 アーカイブ[7]
自由と云う拘束
自由で在りたいと願い望む心。
それこそが「自由」の拘束下である、と云うパラドックス。
縛られることを嫌う傾向にありながら「ルール」と云う束縛がないと自陣を保てない。
そう云った「自身」に既に束縛されている。
それらの大いなる矛盾を抱きつつも、
己が己で在る為に…
我が魂の命ずるままに──。
封殺すべきは?
羨望・憧憬・嫉妬──。
これらの感情が生まれる心理状態のプロセスは、非常に似通った条件から発生すると思われる。
「隣の芝は青い」に代表される、他人の持ち物に対して向けられる、こちら側のベクトル。
このベクトルは「自分の持ち物」と「他人の持ち物」とを、単純に「比較」しているだけに過ぎない。
そして、他人の持ち物にはあって、自分の持ち物の中にはないものを発見したとき、冒頭のいずれかの感情が生まれる。
脳内比較演算。
「お前、なんでそんなもん持ってんだよー。俺にはねーぞー いいなぁ〜」
苦笑
この程度で終わっておれば駄々を捏ねてる程度。表現方法によっては「可愛らしい」。
冒頭の感情群の中で「嫉妬」が一番厄介だろう。この感情がエスカレートすると「干渉」になりかねない。それが高じて「
冒頭の感情群。これらの感情はベクトルをマイナス方向に向けると非常にみっともない。
他人にはあって自分にはないものにケチを付けても何も始まらないし、同時に、自分の「おこがましさ」や「傲慢さ」に気付く良いキッカケになると感じる。
冒頭の「嫉妬」を除いた感情群。これらの感情のベクトルをプラス方向に向けると…
「気付いてしまったんだから仕方ないよ。今までの俺はおバカだったんだよ。ごめんね」
「うん。いいの。おバカなのはあなただけじゃないわ」
「君の前ではいい男で在りたいだけなんだよ」
「素敵☆ わたし、あなたに憧れちゃうわ☆」
「フッ よせよ。みんな見てるよ?」
「みんなが見てても構わないの」
「そか。ういやつ。こっちおいで」
。。照
「君を見てると、羨望と憧憬の感情に支配されてしまうよ」
負ける気がしねぇー! 勝つ気もねぇー!!
「できることをするだけさ」
我が魂の命ずるままに──。