自由が故に自由に拘束できると云う権利。
その権利を自由に行使せねばと云う義務。
その義務感から生ずる感情を「焦燥感」と呼ぶ。
確かなものを固めたいが固まらず、謂れのないことを咎められるような──。
罪悪感にも似た自己嫌悪に囚われる。
自由と云う名の拘束。
やはり、どんな拘束よりも強靭な拘束。
他を支配・制御したいと欲する支配欲や独占欲。それに附随するその他諸々の感情群。
他から支配・制御されたいと欲する依存心や依頼心。それに附随するその他諸々の感情群。
自→他
自←他
これらのベクトルはいずれも程度・次元が低い。「ギブ&テイク」──それも地上すれすれの低空飛行。
愉悦・満足。
その度合いを他に求める。
他からのおこぼれを望む。
自→他
自←他
強烈過度の期待。究極の他力本願──。
このレベルで翻弄され四苦八苦、或いは躍起になれている内は… 二の句も継げぬまま、乾いた苦笑が浮かぶ。
他にベクトルが向いている内は本当に幸福だろう。
気付かぬままに、それこそ責任転嫁も自由に行える。それで自身を宥め賺すことができるのだから──。
とてもリラックスした状態だと云える。
ナルシズムとは、他…自以外の二元物…に責任を問えない思想。
ベクトルはブーメランの描く放物線と同様、常に自に跳ね返ってくるのだ。
手詰まるときは急転直下で手詰まる。真っ赤に錆び付いた鎖が喉元を締め上げるだけだ。
そうして、手詰まったまま、それでも尚かつ進まねばならない。未練がましく生を垂れ流す、とは、そう云うこと。
甲斐のない苦行。
報いのない荊道。
快楽の連続ならば、それこそ好都合。左うちわの万々歳。決して苦行や荊道などの負のイメージは浮かばないだろう。
だが、愉悦や悦楽と云うものは苦悶の狭間に点在しているだけだ。
「人生山あり谷あり」と云われるが、逆に、快楽のほうが「谷」なのかも知れない。
いずれにせよ、酔狂でもなければ正常ではいられない。それが厭なら降りるしかない。
死は恐怖ではない。何度も鼻先を掠めて通り過ぎた。
未知、未経験からくる不安もない。知らなくていいことを知る必要はないからだ。
ただ、意味や本質を見出せないだけだ。何故、知る必要がないことなのか、と云うことの。
理不尽・不条理が放つ強烈な傲慢を嗅ぐ。理解不要。唯々諾々。何でも良いから思い知れ、とだけ──。
生ある者は何の脈絡もなく無意味に死を迎える。それは曲げようのない摂理。拒否権は与えられていない。
そんな絶望的絶対的要素に対して、仰々しく何事かを宣ったり、定義付けに必死になる意義。──悉く見えない。
死に意味などない。絶無だ。灰燼に帰する──ただ、それだけのこと。
輪郭の曖昧なものを以てして一喜一憂する様が、やはり、哀れで健気で愛おしい。
Life has no meaning.
この反証を垣間見ることはできるのだろうか?
果たして──。
こうして大いなる焦躁を愉しむ。
傾ぐ自由を弄ぶとは自から外界へ向けて爆裂することだ。
理解・甲斐を他に求めない。
根拠・動機を他に問わない。
そうして粉微塵になって塵へと還るのだ。
そこに意味など初めからない。
人は自の正当性を練り上げるためだけに生きている。そして、それこそが「本来」であることを痛感する。
僕が生きているのはすべて「言い訳」だ。草葉の陰で祈る練習が足りていないからだ。
言い訳ばかりでごめんね。
それでも、尚かつ、咆哮する──。
音声なき静寂の咆哮は誰の邪魔もしない。
*2009.07.05・草稿