読書とは、著者の既知のお裾分け。
──以前、僕が綴ったことだが、突き詰めると、ここに収斂されるな、と改めて感じた。
著者の既知には、知見や持論をはじめ、無論、想像上の創造までもが含まれている。
想像上には、視認性の認められていない妄想や願望の類いから表現し得ぬ雑多なものまでのすべてが内包されている。
想像と既知。一見、相反すると勘違いしがちな並列であるが──例えば、事実と反していようと、科学的根拠がなかろうと、知らねば…著者の思考に及ばねば…何も語られぬ、ということであり、既知と未知とで分岐すれば、やはり、既知の側に寄るのだ。
粗末
「あのなぁ。心だとか気持ちだとか想いだとか──
そんな見えねえモンを大事にする前によ、見えてるモンから大事にせえよ。
いい加減にしとかねえと終いにゃブン殴るぞ、手前」
「兄貴。云ってることがちょっと…」
「ちょっと、何だ?」
「可笑しいんじゃないかと…」
「何だよ。可笑しかったら笑えよ」
「や、そうじゃなくて…」
兄貴は弟分からフッと視線を落として背を向けた。
「粗末に扱うなってこった。命を粗末に扱うな」
「兄貴…」
「オラ、もう行くぞ。グズグズしてっと張っ倒すぞ」
「…て、だから兄貴ぃ。俺のこと見えてねえんスか? ちょっと待ってくださいよぅ」
『手前なんざ見てねえさ』
兄貴の背中はそう語っているようだった。
弟分よ。
君の行く末、この先が
細く長く続くのか
太く短く終わるのか──
それは君の気持ち次第だ。
悟りよ。幸いあれ。
そんな感じで♪
*2018.05.10・草稿
恋愛の果ての成果物
考えてみれば何ひとつ合っていない。
右といえば左。左といえば右。
大きなことから小さなことまですべてが真逆。
つまり、阿吽の呼吸の対極に立つ。
これが、恋愛関係を長続きさせるための秘訣なのだ、と痛感した。
例えば、仕事から帰って来て、ドカッと腰を降ろして安堵の溜息をひとつ。フィ~、ちかりたなぁ~。こんなとき、テーブルにお茶なりビールなりがスッと出されたとする。
普通なら「お、気が利くねぃ。ありがとう」てなところだろうが、それでは駄目なのだ。
気が利くということは、良くも悪くも結論に至るまでのプロセスが圧倒的に短い。中には早合点、早とちりも含まれているかも知れない。そういった誤解や曲解を解くためにもコミュニケーションや手続きなりが必要なはずなのだが、それらがすべてショートカットされてしまう。
ということは、相手と関わる時間や労力を割く必要が自然となくなってゆく。
詰まるところ、必然、遂には何もなくなってしまうのだ。
お分かり頂けるだろうか?
恋愛とは、極論、無駄を楽しむものだ。
あーしたい、こーしたい。でも、どーしよう。うまく伝わるかしら。
こーしようかしら… どーすればいいのかしら…
ん、あーすればいいわね。やっぱり、こーのほうがいいかも、でも…
非常に鬱陶しい。そして、途轍もなく魂を消費する。
だが、阿吽の呼吸だと、これらの雑事がすべてショートカットされる。
こーしたい→そーする。以上!
殊更、恋愛に関しては、仕事が出来てはいけないのである。
この超逆説はうまく伝わるだろうか?
【YouTube】サカナクション - 新宝島
サカナクション / 新宝島 -New Album「834.194」(6/19 release)-
【YouTube】Alexandros - ワタリドリ
[Alexandros] - ワタリドリ (MV)
はにかみながらハニカム構造
はにかみながらハニカム構造。
価値観の相違で幾重にも折り重なる雑多な
あちらを立てればこちらが立たず。
こちらを立てればあちらが立たず。
不要なものを間引いてゆく。
行間の狭間、言外、何のその。
ドンドン間引いてスカスカにしてゆく。
そんなボードだったら幾重に重ねても通気性は保たれる。
通気性が良いということは風通しが良い。
風通しが良いということは見通しも立ち易い。
見通しが立ち易いということは──
きっと人間関係も風通しが良いだろう。
はにかみながらハニカム構造。
そんな感じで♪
*湘南新宿ライン・赤羽 - 池袋区間にて