井の中の蛙 大海を知らず
が、ふと思い浮かんだ。
と同時に、これを紡いだ偉大な先人には申し訳ないが「アンタ、何言ってんの?」と感じた。
旅人 ジョニーの 息子
ジャーニー ジョニー ジュニア
旅人 ジョニーの 息子
ジャーニー ジョニー ジュニア
逃げ足 滅法 何のその
アラ エッサッサ〜
逃げ足 滅法 何のその
アラ エッサッサ〜
どっこい 気立ては ナイスガイ
ややこい 揉め事 専門外
好きな 食べ物 カオマンガイ
ドアの 開け閉め 蝶番
頭脳明晰 規格外
常識ルールは 適用外
俺様ルールは たったの みっつ
従え 平伏せ 奉れ
従え 平伏せ 奉れ
何様 殿様 お姫様
最初に 俺様 ゆーとるやん
*冒頭からリピート
↑これに好きーなリズムを乗せて是非発声されたし
黙読とはまた違ったエンターテインメントを味わえることだろう
そんな感じで♪
あらゆる「対の概念」について二元論にて考察したい。
対とは、正負、善悪、陰陽など対義語で表現されている概念だ。
対を成す両者はどこまで行っても決して交わることなく常に並行を保っている。
二元論とは、乱暴にいえば「両者の主張を肯定して論ずる」ということだ。
平たく、正義の味方には正義の味方の是があり、悪者には悪者の是がある。
それらを善悪の分岐で振り分けることなく(差別せずに)、双方の言い分を肯定する、ということだ。
ま、大抵は一元論(自身の好都合)で論ずるのが人間の性だと思うが。
それでは論理的思考はできないのだよ、日常に埋没しておる凡庸な輩共よ。←はい、コンプラw
「だーかーらー! さっきから何べんも同じこと言ってんじゃん!?」
「何べん言われようが分かんねえもんは分かんねえんだよ!」
「どうして? こんなことバカでも分かるぜ!?」
「じゃあ、俺はそれ以下ってことか!?」
「ったく、どーしょもねえな、お前って奴ぁ…」
「ああ、どーしょもなくて悪かったな!」
「それほど難しいこと言ってるつもりもないぜ? ちったあ俺の話も聞けよ…」
「するってえと何か? お前さんの話聞きゃ何でもかんでもキレイに解決するんか?」
「やぁ、そうは言ってねえけどよ…」
「そりゃそうだろうよ。一体何様のつもりなんじゃ? 手前の話聞くだけで何でもかんでも丸く収まるんやったら天下泰平、万々歳。世界は愛と平和で満ち溢れているだろうよ。違うか?」
「違わねえよ…」
「せやろ? 俺様の時間をなんで手前の戯れ事で消費せにゃならんのや?」
「お前、トコトンひん曲がってやがんなぁ…」
「何や? ハム太郎か?」
「そりゃ、とっとこ」
「どーでもえーわい」
僕が僕であるために、僕らしくあるために──
などと考えた時点で僕らしくないことを僕はよく知っている。
身の程をわきまえるとは、そういうこと。
始まりと終わりは平等。プロセスは公平。
例えば、「人生」で当て嵌めてみる。
始まり=平等
「生まれる」ということに格差はない。大抵がおとやんおかやんの営みによって生を授かる。
終わり=平等
「死ぬ」ということに格差はない。富豪だろうが乞食だろうが、イケメンだろうがブサメンだろうが等しく死ぬ。
プロセス=公平
平等に生まれ平等に死ぬ訳だが、プロセスには「自身の意志」が介在する。
例えば、「生まれたのも死ぬのも平等で、真ん中は公平だ」等と「考えている奴」と「考えていない奴」が「平等」のはずがない。これは善悪や優劣の二元論ではなく「違う=等しくない」ということを言っているだけであり他意はない。
ちょうど、日本の税制「累進課税」と同等の価値観だ。
多く稼ぐ者はより多く課税され、少なく稼ぐ者は相応に課税される。
「納税する」ということにおいては「平等」だが、そこに金銭多寡が生じている以上、「公平」と言わざるを得ない。