2019年12月 アーカイブ[3]

不可能考

「不可能」の対義語は「可能」である。

──のだが、この言葉の文節は「不可 ‐ 能」なのだろうか。それとも「不 - 可能」なのだろうか。

国語的には後者であると考えられる。

「不 - 可能」。

これは「可能」を打ち消す否定形であり、可能ではない、という意味だ。これを前者の文節で捉え直すとどうだろうか。

「不可 - 能」。

能力(機能)を許可しない、となる。
つまりは「可・不可」のブーリアン分岐である。
enabled or disabled. →有効・無効

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不疑

用人不疑、疑人不用

人を使うならば疑わず、人を疑うならば使わず、と言う意味。

中国での経営哲学のひとつだそうだが、疑うような人に使われるな、という従業員の声も聞こえてきそうだ。

 疑 =疑う
 不疑=疑わない
 無疑=疑のない状態

 信 =信じる
 不信=信じない
 無信=信のない状態

これらの定義の差異が、その人足らしめる根幹を物語るような気がする。

前者・後者共に2段目までは能動だ。
自らの意思でそうしている、ということだ。

「疑う・疑わない」「信じる・信じない」→能動・自己選択

3段目、これは客観的な第三者の観点、或いは、その空間を支配している状態定義である。

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私の存在

私の存在はない。
私の存在は輪郭を持たない。
私の存在は私ひとりでは成し得ない。
私の存在は他者という観察者によって初めて認識される。

他者の存在もまたない。
他者の存在もまた輪郭を持たない。
他者の存在もまた他者ひとりでは成し得ない。
他者の存在もまた私という観察者によって初めて認識される。

私はひとりではない。
私という私の主観は私がそう思い込んでいるだけであって、他者にとっては客観そのものだからである。

他者もまたひとりではない。
他者という私の客観は私がそう思い込んでいるだけであって、他者にとっては主観そのものだからである。

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