自身の脳内で釈然としていることは、他人からすれば如何に難解とされることでも自身の脳内ではすべて既知。至極容易なこと。
それらを他人に解り易いように、受け入れやすいように脳内トランスレートして具現化しようとするとき、初めて『創意』が生まれる。
満身創意。
その創意に殉じた地図を頼りに自らの羅針盤に則って活動すること──それが『表現活動』と呼ばれるのではないだろうか。
2005年12月 アーカイブ[11]
己望
「希望」とは、その「望み」自体が「希(まれ)」なのではなく、或いは、その「望み」を抱くことが「希」なのではなく、
その「望み」が叶うと信じて止まない、自身から放たれる一方的なベクトル──「願望の精神ベクトル」自体が「希」なのだ。
故に、「己望」と換言する。
そして、その「己望」は叶った時点で、達成した時点で、儚くもその姿を失う。
そのようなことがあった、と云う「過去の形跡」を「記憶」として刻みつけ、嘲笑うかのように冷淡な笑みを湛えながら、やがて、自身の脳内から退色してゆく。
put a spell on...
“Best” ではなく、“More better”...
...and so on.....
While my spell gently weeps.....