2003年6月 アーカイブ[1]

日々を生きる

多分、小利口な諸君らはあれもこれもと様々な思いを馳せているに違いないが、「日々を生きる」ということに頓着することを提言したい。

自分が常日頃から曰っている科白として「どうせ死ぬ」という科白があるが、これはすこぶる真実であり確実な現象だ。

ハタチ過ぎれば老いさらばえてゆくのみ。進化は有り得ない。経験則から来る能書きによって優劣などをほざくだけだ。

ただ、自分としては年上だからという前に、同じ人間だからというベクトルの方が圧倒的に強い。

故に、年少者にもフラットなポジションで、いわば、対等なスタンスとベクトルで臨める。その方が圧倒的にオモロイ話が聞けるのも事実だ。

諸兄らに伝えたいことは、アホなアニキ、もしくはアネゴを持とう、と云うことだ。心を許す許さないの問題以前に、アホな輩をどれだけ知っているか、ということが大いに左右すると思われる。

手前の心などは、心底許していないアホに晒す必要は微塵もないが、知っているのと知っていないのとでは考え方の方向性としてまったく異なってくる。

通り一辺倒な杓子からはソウルフルな発想は生まれ得ない。

ビシビシとその場の雰囲気、空気を感じながら得られる、活きた情報の方が何より自然であるし真実だ。

五感を研ぎ澄ませ。活きた己の咆哮を晒せ。
死に行く前に確実に生きているという証を魂に刻め!

ま。なんとなく、やけど♪

___ spelt by vincent.