「言葉のサラダ」冒頭の論旨を踏まえると、一般的に「頭がいい」と云われる人らは、論理的固形物の
つまりは「高尚な併せ打ち」である。
成る程。論理破綻していなければ、大抵の人が渋々ながらでも納得する。
所謂「正論」のことを差しているのだが、正論は何処まで行っても正論だ。そこに「正論」の強さ、残酷さ、恣意的、独善的などが見え隠れするが、さておき…
僕は非論理的断片を多く内包している「潜在的クレバーエレメント」に惹かれる傾向にある。要するに、しどろもどろI want youばっちこいや、と云うことだ。
「分かるよ。対外的にうまく表現できないから浸透しないだけであって、僕にはものすごくよく伝わる。君の云うことは正解だね」などと。
知ったかシンクロ率が高ければ大抵が心を開く。
2009年10月 アーカイブ[7]
No more, no less
デザイナーは商品を作り、アーティストは作品を創る。
商品は購入者に依って意味を持ち、作品は所有者に依って輪郭を象る。
商品価値は金子の多寡で括れるが、作品価値は金子の多寡だけでは括り切れない。
購買欲をそそれないデザイナーには未来がない。所有欲をくすぐれないアーティストには救いがない。
「自称」と云う冠が「詐称」と云う冠に姿を変える。
望まぬメタモルフォーゼ。
──故に「無冠」でよい。
主流と反主流 - アンチイズム考
「右向け右」の対極として「アンチイズム」がある。つまりは「主流」を傍目に「反主流」と云うことだ。
順風満帆とは凡そ掛け離れた思想ではあるが、幼少の頃からこのテーゼに基づき、終始しているように感じる。
平たく云えば「反骨」と云うことだが、「魂のレジスタンス」と云う呪文を唱えてみる。
指先が切ない
握り締め切れない健気な拳が愛おしくて。
透き通るような白い肌に浮かぶ管が目映い。
紡ぎ出される意味ありげな符号の数々。
どれも指先の角度ひとつで吐息に変わる。
嗚呼、奥ゆかしい。
放置された銀灰色混じりの頭蓋鎧。
見る者に初老の偶像を象らせ、内蔵された独自達観と青臭い殉情を霞ませる。
堆積された白銀の数だけ集まる金子の多寡。揃えば揃うほどに現実の警鐘から遠離る。
嗚呼、指先が切ない。
残った琥珀色の液体で喉を灼く。
溜息と共に紫煙を吐き出す。