善行であれ悪行であれ、一番恐ろしいことは「何故、それがそうで、そのような結果をもたらしているのか?」という仕組みが分からないことだ。
善行であればそれほど執着されないが、悪行の場合、非常に困ることとなる。
何故なら、どのようにすれば止まるのかが分からないからだ。
つまり、訳も分からず「動けば良し」という思想には、このような弊害が付きまとうのだ。
如何にして動かすか──。
そこに美徳を見出だせないような環境は、垂れ流しとなるのが関の山である。
願わくば美しく垂れ流したい。