2018年9月 アーカイブ[1]

善行と悪行

善行であれ悪行であれ、一番恐ろしいことは「何故、それがそうで、そのような結果をもたらしているのか?」という仕組みが分からないことだ。

善行であればそれほど執着されないが、悪行の場合、非常に困ることとなる。

何故なら、どのようにすれば止まるのかが分からないからだ。

つまり、訳も分からず「動けば良し」という思想には、このような弊害が付きまとうのだ。

如何にして動かすか──。

そこに美徳を見出だせないような環境は、垂れ流しとなるのが関の山である。

願わくば美しく垂れ流したい。

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