極まったものには、さしたる理由はない。理由を必要としているうちは極まっているとは云い難い。
或いは、理由を追っているうちは成し得ることすら侭ならず、右往左往として雰囲気を楽しんでいるだけだと云える。
つまり、悪足掻き、である。
2011年8月 アーカイブ[3]
アンニュイな雨の昼下がり
雨音を聞いていると
現われるはずもなかろう
君の足音が混じっていそうで
耳を澄ましても
目を凝らしても
果敢ない幻想だと思い知るのに
それほど時間は掛からないはずなのに
雨音と喝采とを重ね
そうして幾漠かの潤いを
渇いた心をなけなし宥める
アンニュイな雨の昼下がり
アッシュグレイの雨雲を眺めながら
いつもより長めに紫煙を吐き出す
どん底
どん底──。
あるかないかで云えば、どん底は確かにある。
しかし、ここがどん底だ、と思っているうちは、まだ、どん底にはいない。
「どん底」と「限界」はよく似ている。
限界だ、と思っているうちは、まだ、限界ではない。「どん底」と「限界」に、そんな「余裕」はない。
ハイパーネガティブ。
ネガティブを超越せよ。そして、そこに鎮座するスーパーポジティブを感じよ。
我が魂の命ずるままに──。