黙って聞いてりゃいい気になりやがって!
ということは、
いい気になってりゃ黙って聞きやがって!
逆もまた真なり!
逆もまた真なり?
んー…
そんな感じで♪
2015年9月 アーカイブ[3]
精神論
死んだ気になれば何でもできる、といった類いの精神論には何の根拠もない。
この手のテーゼを自身に課すのは一向構わないが、他に向けた激励の常套句として乱用するのは頂けない。
死んだら終わり。何もできない。故に、その気になっても何もできない。これが先の精神論の正解である。
この正解は、ある程度、思考が回転する者ならば大抵が知っている。知りながら放たれる先の精神論が、それほど他人に刺さる筈がない。
それでも尚且つ敢えて綴ろう。塗り染めよう。
死んだ気になれば何でもできる──。
一度も経験したことのないことを誰が否定できようか? 可能性の芽は摘んだ時点で死に体だ。──ほら、もう死んでしまった。
可能性の芽を摘む行為が、既に死んだ気にさせてくれるとは… 可能性がないのに何でもできるのか?
いやはや…
やはり、精神論はパラドックスに満ちている。脳内撹拌は生きている内にしかできない贅沢である。
生きてるうちにやりたいことをやれ。
そんな感じで♪
敬意と慈愛
相手に対する敬意がなければ優位性は保持されない。
つまり、人間関係における上下関係と云うものは、下の敬意によって確立されている、と云うことだ。
上を自負する諸氏は下の抱く類い稀なる慈愛を感じなければならない。それがなければ上では居られないのだから。
そうなると、どちらが上でどちらが下なのか… 何とも怪しげな枠組みの稀薄な境界線が透けて見えてくる。
ふと、そんなことを感じた。