「信じるの反対って何だと思う?」
「疑う?」
「違うわ。信じない、よ」
「──!? じゃあ、疑うの反対は?」
「疑わない、よ」
この定義の差異が決定的な差異を生む。
対義語では表現し得ない真偽がここにある。
ベースを揺るがすとは、こういうこと。
2016年11月 アーカイブ[2]
hulu 視聴履歴
隣の女
「渡る世間は鬼ばかり」の石井ふく子初の2時間サスペンス。
高島礼子演ずる「立原さち」が偽名であることを説明するシーンがあり、刑事役の小林稔侍扮する「後藤田祐太郎」の説明に矛盾があった。
「さちは幸せの幸」と漢字を言っていたが、後の手紙のシーンでは「池上さち」と。
何それ?
後藤田の登場にも違和感と猜疑心しか生まれなかったし、肝心の被害にあった全財産について何の解決も見せないままに、ほのぼのエンド… まったくの消化不良感を否めなかった。
長い長い殺人
原作は100万部を記録した宮部みゆきの同名小説。登場人物の「財布」の目線が持ち主の日常や心の闇を浮き彫りにする、とあったのだが…
原作を追っていないので何とも評し難いが、財布目線のストーリー展開は擬人的でなかなか面白いとは言え、物語の核心には大して役立っている様子もなく、何が画期的なのかと問われると非常に悩ましい…
で、あろうことか、こちらも真の悪党の結末が曖昧で何とも腑抜けた終わり方…
流石に2作続けて消化不良ともなると、自分の感覚を疑うより他ない。
…という訳で、誰か観た人がいたら、上記2作品の面白さを是非拝聴いたしたく。
とことん共感得られん原因が、こんなところに転がっているのかも知れない。
ちっとも面白くなかった。