生きてゆくことと煙草を吸うことはよく似ている。
生きてゆくことを大仰に捉えたフレーズなりはそこかしこで見聞されるが、生まれたということが既に結果であって、生きてゆくこと自体にそれほど深い意味はない。終わるまで全うするだけだ。
百害あって一理なし、といわれる煙草もまた、火を点けた時点で吸い終わるまで吸うだけであり、ニコチン中毒以外にそれほど深い意味はない。
煙草吸いの多くがそれを感じているはずだ。100円ライターだろうがオイルライターだろうが、ガスライターだろうがマッチだろうが、煙草に火をつけた時点である程度の満足感を得ていたりすることを。
或いは、習慣化した一連の動作に特別な思い入れを込めるほうがよっぽどどうかしているだろう。
──にも関わらず、両者には必ずといっていいほど過度な干渉ベクトルがつきまとう。
生きてゆくことと煙草を吸うことはよく似ている。
2015年2月 アーカイブ[4]
幸せの器
「1パック10個入りの卵ってあるじゃない?」
「ええ、あるけど?」
「それって、どう思う?」
「どうって?」
「や、幸せかなぁ、って」
「幸せ?」
「うん」
「幸せかどうかは分からないけれど、卵は結構使うから便利ね」
「そっか」
「てゆーか、出し抜けに何を言い出すのよ。どうかしたの?」
「別にどうもしないよ。いつも通りさ」
「そう、ならいいんだけど…」
「じゃ、4個入りとか… 1個しか入ってないのもあるじゃない?」
「ああ、あるわね。1個のはお高いわ」
「それって幸せ?」
「微妙ね… 1個のはお高いし、品質も良いのでしょうけれど…」
「卵を基準に考えるから微妙なんだろうね」
「?」
「1個しか入らないパックには1個あれば十分じゃないか」
「それはそうだけど…」
「欲張って10個入りパックで構えているから満たされないんじゃないかなぁ」
「…」
「幸せの器って、人それぞれだね」
雑感
檻の中の虎と言われたことを想起した。
虎と言えば威勢はいいが、檻の中にいるということは、所詮は飼われているということだ。
俺といるのは正直、面倒なことなのだろう。
猛獣使い募集中。
嗚呼、虚しい。