「君は今『もう終わりだ』と感じているのかね?」
項垂れた男の傍らに何処からともなく老人が現れた。男は驚いた様子もなく彼を仰ぐと、力なく頷いた。
「そうか。それはそれは」
老人は刻まれた皺を更に顰め、憐憫の眼差しを男に向けた。男は口許に薄笑いを浮かべ、彼を見る共なしに眺めていた。
「君は死ぬのが怖いかね?」
追い討ちをかけるような老人の問いに不意を衝かれる。
「もう終わりならば死ぬしかあるまい?」
「それは…」
「何だね?」
「や…」
「それとも死そのものが怖いのかね?」
老人は更に被せてくる。男の眉間に皺が刻まれる。
「終わりだと感じたならば潔く幕を引くべきだ。違うかね?」
「……」
男の頭の中には『死』と云うフレーズが旋回した。悔しさ、未練、不甲斐なさ、脱力、希望、渇望… 様々なフレーズが飛び交う。
──葛藤。
男は本当に「終わり」を感じていた。光明はおろか、糸口さえ掴めない。まるで濃霧の中を彷徨っているような感覚に支配されていたからだ。
「青年よ。死と云うものは皆に等しく平等に降り注ぐ。故に、一時の気の迷いなどで決断せずとも良いのだ」
男が我に返ったように頷く。
「願わずとも時期が来れば向こうから勝手に訪れる」
「確かに…」
「旅の途中、不本意な結果に見舞われること暫し。その都度、辞世を決していたら命の在庫整理に手間が掛かる」
老人が笑う。男も口許を綻ばせる。
「いずれにしても、これで残りをやり過ごせる」
そう云うと、老人は小さなチケットを1枚、懐から取り出した。怪訝そうな表情で男が受け取り、それをしげしげと眺めた。
「恋…?」
行き先に「恋」と書かれている。
「ウム。切符じゃ」
「切符…?」
「そう。知らないかね? それは恋の片道切符じゃ」
「恋の片道…」
「それで残りをやり過ごせる。往路あって復路なし。人生と同じじゃ」
そんな、と云い掛けた男が面を上げると、老人の姿は跡形もなく消えていた。取り残された男はチケットを手にしたまま呆然とした。
暫くすると、行き交う人々の群像が男の角膜を刺激した。この不思議なシーンは誰の目にも留まらなかったようだ。
男はフッと鼻で笑うと、
「やってみるか」
と、チケットを握りしめた。
男にチケットを手渡した老人。彼は最後の最後に一度だけ現れると云う。
男が彼に会うのは何度目だろうか。
もし、女神に会えれば成就すると云われているが、生憎、女神は忙しかったようだ。
恋の片道切符。その効力や如何に──。