無自覚に対する評価とは、端的に云うと、当人にその自覚がないにも関わらず、他人がそうだと勝手に思って(決め付けて)いる、ということだ。
その他人の観点からすると、その当人を見る基準──つまり、前提ということになる。
色眼鏡という語彙に準えれば、フィルターとも換言できるだろう。
人を色眼鏡で見てはいけない、という禁則事項を知りつつも、人は独自のメソッドでフィルタリングしてソートする。
2017年1月 アーカイブ[5]
健忘の彼方へ
泣くとすべて忘れる。
嬉し涙。悔し涙。感動の涙。失恋の涙──。
記憶に残っているのは泣いたという「事実」だけ。
何故、泣いたのか、どういうシチュエーションで泣いたのか、どうして泣いたのか…
不思議と悉く何も残らない。
泣くとすべて忘れる。
泣くという行為は、健忘という自己防衛本能のひとつなのかも知れない。
最近、とんと涙に縁がない。
記憶は鮮明だが、取り立ててピックアップする事柄もない。
それはそれで悲しい。
よし、泣こう。
あ…
そんな感じで♪
*2016.12.21 草稿
可笑しな日本語
「理屈抜きで間違ってるよ」
「や、正しいとか間違ってるってのは理屈があって揺れ動く訳で…」
「整合性抜きで間違ってるよ」
「や、それ抜いたら基準なくなってまうし…」
「間違っても間違ってるよ」
「そう。もうね。全然、正しくないじゃん! 間違ったら間違いやん? そこに仮定はないのよ、お分かりちゃん?」
「間違いなく間違ってるよ」
「だから、どっちなん?」
「どう考えても考えられないよ」
「ハナからいっこも考えてへんやんけ…」
「間違いか正しいかなんて考えられないよ」
「や、考えろよ」
「逆に、相手の立場になって考えてみてよ」
「どうあってもお前が正なんやな? どっちが自己中やねん… つか、ちょ待てよ──お前が俺に向かって何か云ってるってことは、俺の相手てなお前ってことだよな? で、相手の立場てなお前の立場ってことになるんだが、その逆ってことは、跳ね返って俺の立場のことを差す。な? 『逆に』てのがどんだけ可笑しな表現か分かったか? 『逆に』なんて、逆に云わんでえーねん、逆に」
「分かるか分からないかなんて分からないよ」
「分かっとるやん! 『分からない』云い切っとるやんけ」
「信じるとか信じられないとか信じられないよ」
「ハイハイ、信じられないのね…」
「あり得るとかあり得ないとかあり得ないよ」
「もうね。全体的に力一杯、理屈抜きで間違ってるよ、君は…」
*2016.08.29 草稿
シナプス
アニメ「昭和元禄落語心中」のワンシーンから「美鈴屋」→「みすずや」と黙読。
確か「鈴」は「レイ」とも読むなぁ、と。
→「美麗屋(びれいや)」。ウム、美しい。
横道。「北方→喜多方」。「焼き物→御家喜物」等々、日本の言葉遊びの雅を感じる。
これらの派生が「駄洒落」なのかなぁ、と。
「鈴」に戻って、
鈴の音→鈴音→りんね→輪廻。
「輪廻」はサンスクリットでサムサラ。
ああ、GUERLAINの香水SAMSARAはここから… と命名の由来に。
何てことない脳内シナプス事始め。
酉年だけに酒られない。
毎度、vincent. 今年も宜しく。
三歩歩けば大体忘れる。<ダメじゃんw
そんな感じで♪