無自覚に対する評価

無自覚に対する評価とは、端的に云うと、当人にその自覚がないにも関わらず、他人がそうだと勝手に思って(決め付けて)いる、ということだ。

その他人の観点からすると、その当人を見る基準──つまり、前提ということになる。

色眼鏡という語彙に準えれば、フィルターとも換言できるだろう。

人を色眼鏡で見てはいけない、という禁則事項を知りつつも、人は独自のメソッドでフィルタリングしてソートする。

例えば、「我、某しなり」と強く主張したところで、この無自覚に対する評価の前には為す術もなく覆る場合がある。

「それは君がそう思ってるだけで誰もそうとは思ってないよ」

故に、指標や理想を掲げ、そこに到達しようとする言動は、結実せねばすべて徒労に終わる。

努力するという美徳観が局所的である所以がこの辺りに潜んでいるのかも知れない。

つまり、自身の抱く思想・思惑その他雑多は十把一絡げ。飽く迄も自己満足であって、それを声高に宣言したところで、共感者・賛同者を得られないようでは何の信憑性も持たない、ということだ。


「こんな優しいオッサン他に知らんで?」
「あらそう。それは初耳」

そんな感じで♪

2016.12.14 草稿

___ spelt by vincent.