生きてゆくことと煙草を吸うことはよく似ている。
生きてゆくことを大仰に捉えたフレーズなりはそこかしこで見聞されるが、生まれたということが既に結果であって、生きてゆくこと自体にそれほど深い意味はない。終わるまで全うするだけだ。
百害あって一理なし、といわれる煙草もまた、火を点けた時点で吸い終わるまで吸うだけであり、ニコチン中毒以外にそれほど深い意味はない。
煙草吸いの多くがそれを感じているはずだ。100円ライターだろうがオイルライターだろうが、ガスライターだろうがマッチだろうが、煙草に火をつけた時点である程度の満足感を得ていたりすることを。
或いは、習慣化した一連の動作に特別な思い入れを込めるほうがよっぽどどうかしているだろう。
──にも関わらず、両者には必ずといっていいほど過度な干渉ベクトルがつきまとう。
生きてゆくことと煙草を吸うことはよく似ている。