死んだ気になれば何でもできる、といった類いの精神論には何の根拠もない。
この手のテーゼを自身に課すのは一向構わないが、他に向けた激励の常套句として乱用するのは頂けない。
死んだら終わり。何もできない。故に、その気になっても何もできない。これが先の精神論の正解である。
この正解は、ある程度、思考が回転する者ならば大抵が知っている。知りながら放たれる先の精神論が、それほど他人に刺さる筈がない。
それでも尚且つ敢えて綴ろう。塗り染めよう。
死んだ気になれば何でもできる──。
一度も経験したことのないことを誰が否定できようか? 可能性の芽は摘んだ時点で死に体だ。──ほら、もう死んでしまった。
可能性の芽を摘む行為が、既に死んだ気にさせてくれるとは… 可能性がないのに何でもできるのか?
いやはや…
やはり、精神論はパラドックスに満ちている。脳内撹拌は生きている内にしかできない贅沢である。
生きてるうちにやりたいことをやれ。
そんな感じで♪