有頂天

できるできないで云えば何でもできる。
イメージできることは必ず実現する。

ただ、いつ完成するのか、或いは、いつ完成させるのか、と云うのが争点だ。

今すぐなのか、100年後なのか。

或いは、その完成を見届けるのか、見届けたいのか、見届けるべきなのか。

動機の原点を何処に据えるかに依っても、その稼働率に変化が表れる。

例えば、その気にさせれば人はどこまでも舞い上がる。目の前にブラ下げられた人参が、この上なく魅力的であればあるほど、その稼働率は臨界点を突破してもなお、獅子奮迅の稼働を継続する。

つまりは「暴走モード」である。

暴走モードの行く末は「覚醒モード」だと云う。目覚めた者に怖いものはない。行き着くところまで行くだろう。


「有頂天」と云う仏教概念は、実は果てしなく世俗的なのだ。

「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」

転じて逆説が浮上する。

「いい気になってりゃ黙って聞きやがって」

──有頂天のヒントは、こんなところに転がっている。


目の前にブラ下がっているはずの人参が見当たらず、必然、焦点の定まらぬ哀れな道化に、燃え盛る情熱の真っ赤な薔薇を。


聴け、静寂の爆音を。魂の慟哭を。


我が魂の命ずるままに──。

___ spelt by vincent.