言葉のサラダ

思考とは、非論理的断片を論理的固形物へと編纂へんさんする脳内作業である。

その固形物を以て、他人の評価のご機嫌伺いをする。

コミュニケーションとは、浮遊球体の成れの果てを自慢し合う品評会である。

統合失調症の特徴のひとつに「連合弛緩」と呼ばれるものがある。

簡単に云うと「会話の繋がりや意味が緩む」と云うことである。

例えば、

 恋が終わった。
 もう、人生おしまいだ…

このような思考。

統合失調症と無縁と思われる人でも通常だと思えるだろうが、冷静に考えてみれば、論理的な繋がりはひとつもない。

つまりは「連合弛緩」である、と云える訳だ。


「言葉のサラダ」と云う医学用語があるそうだ。

つまり、言葉が特定の意味を成さず、サラダのようにごちゃ混ぜである。故に、理論的根拠がなくても当人は気付かない、と。

脳内会議を趣とする僕などは言い得て妙だ、と頷かざるを得ない。


冒頭、「浮遊球体」などと云う比喩で表現した。

僕は、凡そ思考と呼ばれるものの大半は、さしたる意味もなくフワフワと浮遊しているのが常である、と考えている。

でなければ、それぞれの「意味」の重圧に耐えられなくなり、簡単にこわれてしまう──つまりは精神破綻してしまうと感じるからだ。

「何も考えてない」「よく考えてない」などと他人を揶揄するのを耳にしたりするが、何てことはない。それは「お互い様」なのだ、と。

本当に熟考している人は、とうの昔に精神異常を来してしまう。純粋であればあるほど、その進行を防げないだろう。決して涼しい顔はしていられないのだ。

そのような人が余り活動していない所から察すると…

健常者と呼ばれる人間は「実は余り意味をよく理解していない」と云うこととなる──。


「え~本当にそうなのかなぁ?」などと… 綴っている傍から思考が断絶する。


僕は僕ですら信用しない。
故に、職務質問を常に自身に執り行うのだ。

口籠ってしどろもどろな自身をサディスティックにわらうのだ。

「君。意味分かってんのかい?」

そんな自身になけなしの反抗を試みる。

「面白い。では君は理解しているのかね?」


このような質疑応答を投げ掛け、夏の夜を優雅に過ごす。
やぁ、酒持って来い(´∀`*)y-〜♪

そんな感じで♪

___ spelt by vincent.