根底で棲息しているものはすべてひとつに繋がっていると云う。
凡そ対極に在ると思われていることですら、根幹はすべてひとつである。
答えがひとつなのではなく、答えらしきものを現時点での正解とし、それに向かって行うべきことをしているだけだ。
或いは、「盲目的」かも知れない。しかし、決して視覚機能的に盲目なのではない。
そもそも「見ていない」のだ。
能動的・自発的・積極的に「見ていない」のか。受動的・強制的・消極的に「見ていない」のか...
いずれにしても結果「見えていない」。
この状況──それは各々の魂の命ずるままに選択される。否、気付かぬうちに選択しているのだ。
気付いたら気付いてなかったよ...
故に、気付かぬままにそれに流される。
或いは、価値観とは常に流動的であり、それは枝葉の価値観の端々で露呈する。
哀しいかな、枝葉の流動的な価値観は、それを見る者・感じる者にとっては、その価値観の全貌・総意・真意と捉えられがちだ。
しかしながら、根底はひとつなのだ。
本来、研ぎ澄まされた者にしか映らないのかも知れない。脆さ、儚さを知る者にしか捉えられないのかも知れない。
根底で棲息しているものはすべてひとつに繋がっていると云う。
そもそも、粒子の集合体が密度を密にして犇めき合い、肩を寄せ合い、臆病なまでに震えながら...
それでも尚且つ滅する瞬間まで、その脆く儚い営みを継続しているだけなのだ。
だからこそ…
我が魂の命ずるままに──。