悪食の定義 - 美食家と悪食家より

先に起こした「美食家と悪食家」の解説がてら、脳内浮遊する球体バブルス共…要するに蛇足なり…を綴ってみる。

──「悪食の定義」である。

この物語の登場人物は美食家と悪食家のふたりしか居ない。漠然とした括りではあるが、十二分に対を構成している。

それぞれの背景・定義を辞書から探ってみる。

び-しょく【美食】
[名](スル)
ぜいたくでうまいものばかり食べること。また、その食事。

美食家は贅沢でうまい物ばかりを食べる人。所謂「グルメ」だとか云われる人のことだろう。

これを穿ってみると、自分が好むこと、好都合ばかりを選り好みし、それを呑む者、と捉えられるかも知れない。つまり、利己主義・ご都合主義である、と云うことだ。

対する悪食家。

あく-じき【悪食】
[名](スル)
  1. 普通には食べない物を食べること。いかものぐい。あくしょく。
  2. 粗末な物を食べること。
  3. 仏教で、禁じられている獣肉を食べること。

2.と3.はさておき…
悪食家は、普通には食べない物を食べる人。要するに、下手物喰いである、と。

これを穿ってみると、他の人が嫌がること、不都合ばかりを選り好みし、それを呑む者、と捉えられるかも知れない。つまりは奇人・変人である、と云うことだ。


こう捉えると、ふたりの会話はとても興味深い。

「何処で何を喰うかより、誰と一緒に喰うかが問題だ」

美食家が悪食家に云い放ったこの科白。字面通り一般的に捉えれば、非常に常識的で哲学的だ。問題点が明確であり、且つ、仄かにロマンティックでもある。

対する悪食家の切り返しが更に被せる。

「何処で誰を喰うかより、何と一緒に喰うかが問題だ」

何処で誰を喰うかより──この科白から悪食家は美食家など眼中にないことが窺える。その人そのものより「何」のほうを重視しているのだ。

彼の云う「何」とは美食家のそれ(メニュー云々)ではない。単なる「食糧の話」から領域が精神世界へ移行しているのだ。

文言的には「何」と「誰」とを入れ替えているだけだが、「evil(悪)」が「live(生きる)」になるなどのアナグラム的な科白でもある。

彼は美食家と食事しながら、美食家の精神世界の某かを見据えているのだ。そして、彼自身のテーゼである「悪食」を満たすため、美食家の内面を巣食う醜悪なもの──

つまり、下手物を選り好みしているのだ。


美食家を陽。悪食家を陰とする見方もできそうだ。擬人的に陰と陽が相見えると、興味深いシーンが展開される。

この寓話をこのように解釈することで「悪食の定義」が輪郭を描く。本質とは、両極の対を以て手に取るように浸透するのだ。

悪食とは自身の好都合に依らず、何事をも咀嚼し、消化すること。そして、一旦消化したものは決して吐き戻さない。

つまり、苦渋を糧とする──と云うことだ。

ひと筋縄ではうまくないのは当然なのだろう。某かのスパイスを加え、都度、調整したほうが良さそうだ。

そのスパイスとは──?


我が魂の命ずるままに──。

___ spelt by vincent.