世界中にあるすべてのものが誰かの夢から生まれたものだとしたら、世界は夢で満ち溢れているということになる。
だが、ここで「悪夢」の存在を忘れてはならない。
夢や希望などがすべて正の要素だと捉えるのは楽観的観測に過ぎず、些か怠慢、傲慢だと云える。何故なら、悪の抱く夢や希望は負の要素に満ち溢れているからだ。
そう捉えると、夢は人々の数だけ無数にあったほうが、それなりに中和し易いと云えるだろう。
望ましいのは、善と悪の拮抗状態──。
この状態になれば、ちょうど、宇宙創生期に繰り広げられた壮大なイリュージョン──「対消滅」のように、それぞれの夢や希望の類いは成長・進化を待つまでもなく自然淘汰される。
自然の摂理というものは、偶然性・必然性を含めて一方に寄ることを良しとしない。云わずもがな、均衡が保てなくなるからだ。
或いは、某かの思想で寸分違わずひとつに統一されたとしたならば──?
世界中の夢が誰かの夢に染まりませんように──。
その祈りで世界はひとつになるだろう。
「…てな訳で、俺はひとつになりたくねえんだよ」
「おい、よせよ!」
「どうしたんだよ、急に…」
「その考えはよくない」
「どうして?」
「俺とひとつになっちまう!」
あなたの 夢は 何ですか?