星の子供たち

アインシュタインの一般相対性理論が正しければ、宇宙は約150億年前に、密度無限大の「ビッグ・バン特異点」と云う小さな点から始まったことになる。

ビッグ・バンから10-35秒後には宇宙は豆粒ほどの大きさになり、絶対温度と云う超高温状態にあったらしい。

それは1/100秒後に10兆度まで上がり、宇宙は今の太陽系ほどの大きさになった。

ビッグ・バンから30万年後には水素やヘリウムなどの原子ができ始めて、それまで不透明だった宇宙が透明になる「宇宙の晴れ上がり」が起きたと云う──。

宇宙が光と熱から始まったとするならば、無論、我々人間もその中から生まれたと云うことになる。

故に、我々人間は皆、光の欠片──星の子供たちなのだ。

地球は生命を育むための条件を実に絶妙なバランスの上に成立させている。

太陽系の周りには彗星の巣と云われる「オールトの雲」があり、そこから多くの小惑星が太陽のほうへやってくる。

それら小惑星の飛来から地球を守っているのが木星や土星と云った巨大ガス惑星だ。

それら巨大ガス惑星はその強大な引力で小惑星を引き寄せ、地球を惑星衝突から防いでいる。

もし、太陽系誕生のとき、これら巨大ガス惑星が生まれず、地球型惑星ばかりだとしたら、頻繁に起きる惑星衝突の所為でこの星の生命は知的進化を待たず、すべて絶滅していたに違いない。

故に、我々人間は如何に足掻いても宇宙と無関係ではいられないのだ。

しかし、哀しいかな...

我々人間は羽を持っておらず、ただ地を這いずり廻ることしか知らないので本当の意味での「高さ」と云う概念がない。

自身の周囲を取り囲む狭い領域しか見えておらず、自らが「宇宙の一部分である」と云う認識を持てずにいる。

故に、いつまでも近視眼的な争いを飽きることなく繰り返すのだ。


願わくば、俯瞰せよ──。

意識の水平軸を引き上げれば、羽などなくとも天空を舞うことができる。いつでも自由自在に飛び廻れるのだ。

広大な宇宙の一部分であると云う認識を持てれば、あらゆる雑事がちっぽけに思えてくるだろう。

 大宇宙と小宇宙のランデヴー。

スピリチュアルな悦楽を存分に堪能するためには理解を超えた部分に重きを置くことだ。

僕は、そう感じてやまない。


星の見えない夜空を仰ぎ、覚醒した脳で瞑想する。

___ spelt by vincent.