「希望」とは、その「望み」自体が「希(まれ)」なのではなく、或いは、その「望み」を抱くことが「希」なのではなく、
その「望み」が叶うと信じて止まない、自身から放たれる一方的なベクトル──「願望の精神ベクトル」自体が「希」なのだ。
故に、「己望」と換言する。
そして、その「己望」は叶った時点で、達成した時点で、儚くもその姿を失う。
そのようなことがあった、と云う「過去の形跡」を「記憶」として刻みつけ、嘲笑うかのように冷淡な笑みを湛えながら、やがて、自身の脳内から退色してゆく。