彼女が突然心変わりした理由は、何となく分かっているつもりだ。
失恋の痛手を癒すために彼女は肉体的な繋がりを求め、彼は精神的な繋がりを求めた。
人斬り以蔵
新潮社
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司馬遼太郎的短編の入門編
全ての「ひと」が歴史を作っていく
司馬、初期頃の珠玉の短編集
思い出深い一冊。
1993 ver.03「タイトルなし」
そして、究極の1993年シリーズ第3弾。
自分の人格がこの時点で形成されていることが窺える文章だ。
齢20にして現在と考えていることが殆ど変わらない。成長がないとも言えるが…
1993 ver.02「歩く」
同じく1993年シリーズ第2弾。
1993 ver.01「彷徨」
1993年の──つまり、今から10年前の自分の書き記した文章で
「当て処なく ただ ゆらゆら」
と非常に似たものを発見したので綴っておきたい。
日々を生きる
多分、小利口な諸君らはあれもこれもと様々な思いを馳せているに違いないが、「日々を生きる」ということに頓着することを提言したい。
自分が常日頃から曰っている科白として「どうせ死ぬ」という科白があるが、これはすこぶる真実であり確実な現象だ。
ハタチ過ぎれば老いさらばえてゆくのみ。進化は有り得ない。経験則から来る能書きによって優劣などをほざくだけだ。
ただ、自分としては年上だからという前に、同じ人間だからというベクトルの方が圧倒的に強い。
故に、年少者にもフラットなポジションで、いわば、対等なスタンスとベクトルで臨める。その方が圧倒的にオモロイ話が聞けるのも事実だ。
諸兄らに伝えたいことは、アホなアニキ、もしくはアネゴを持とう、と云うことだ。心を許す許さないの問題以前に、アホな輩をどれだけ知っているか、ということが大いに左右すると思われる。
手前の心などは、心底許していないアホに晒す必要は微塵もないが、知っているのと知っていないのとでは考え方の方向性としてまったく異なってくる。
通り一辺倒な杓子からはソウルフルな発想は生まれ得ない。
ビシビシとその場の雰囲気、空気を感じながら得られる、活きた情報の方が何より自然であるし真実だ。
五感を研ぎ澄ませ。活きた己の咆哮を晒せ。
死に行く前に確実に生きているという証を魂に刻め!
ま。なんとなく、やけど♪
keyword
とかく極論を吐く傾向のある自分だが、最近のキーワードは「なんとなく」だ。
世の中、大半の人が極論や強烈な刺激を求めるが、そのくせ実は、ちっともその辺りを受け止めるキャパシティがまるでない。
「すごい」という言葉を口にするだけで、そのすごさを形容したり、心から絶賛するボキャブラリーがない。
要するに、借り物競走ライクな表現を好んで用いる。
ありきたりな表現や、月並みな言葉であったりするために、その人の素の部分がまるで見えてこない。上っ面を取り繕った言葉では物作りの心は震えない。
もう少しだけ、魂をアドオンして欲しいと願う。上乗せ、上乗せで前のめりになるくらいが丁度いい。そうして、自分自身の普遍的なテーマを、自分自身のコアな部分をさらけ出して欲しいのだ。
言ったり、考えたり、思ったりすることはタダだ。無駄口を叩き、下手な考えを巡らせ、邪な思いを馳せるべきだと感じる。
ただ、極論や正論は受け入れられにくいので「なんとなく」。「普通」ではなく「なんとなく」──これが、継続・持続の秘訣だと考える。
最後に最大のインスピレーションを。
努力とは凡人の希望である
by 立川談士