11月に移り住んだ部屋の解約手続きに向かった。部屋を決めるときはふたりだったが今日はひとりだ。
年の瀬の喧噪と雑踏をすり抜けながら、ああ、2003年も残すところ後僅かだなぁ、と感じていた。初冬の冷たい風がやけに頬を突き刺す。
不動産事務所で淡々と事務手続きを済ませると、商店街から流れるメロディが耳に飛び込んできた。
Silent night, Holy night...
ああ、今日はクリスマス・イヴか… 買い物客や人混みを避けて、固いアスファルトを踏みしめた。家路に向かう足取りは非道く重かったが、不思議と悲観的な考えは生まれなかった。
所詮、人間は生まれたときから死ぬまでひとりだ。ふたりになったような錯覚をしばしば起こすが、実は、自分勝手な我が儘で勘違いをしているだけだ。
自分の寂しさを埋めるために「好き」という言葉を使い、相手にもそれを求めるために「愛してる」という言葉を使う。ただ単に、お互いの利害関係を成立させるためだけに発せられる言葉だ。
「愛は盲目」といわれるが、言い得て妙だと感じる。普段は冷静な頭脳が、とんでもない解答を叩き出してくる。一歩引いての冷静さを欠き、とんでもない失敗を招く。
ただ、自分はこの大いなる勘違いが嫌いではない。大体において、正解などというものは存在しないのだから、その都度、刹那の感情に身を委ねていればよいのだ。
死別でもない限り、生きてさえいれば再会の機会は訪れる。その時にどんな感情が生まれるのか? 考えただけでもワクワクする(笑
睡眠も儘成らず、飯も喉を通らなかったような自分がこうして冷静に文章を綴っていることが不思議でならない。それは強さ弱さに関係なく、紛れもなく自分の本質なんだと痛感する。
Life has no meaning...
自分の座右の銘のひとつにこんな言葉があるが、人は呼吸を止めるまで生きているだけだ。そこにそれほど重要な意味はない。
ただ、それを知ろうとする精神的な求道は、人間だけに許された楽しみのひとつではなかろうか?
Life has no meaning...
I have nothing. Nevertheless I still live.
Everybody wants to rule the world.
But we have to keep a rule.
So, till death visits us... Noway...
「イエスが生まれた日にノーとは言えまい」