売れない俳優

「あなたは手に取るように“身の程知らず”ね」

フルート・グラスのステムを紅く塗られた爪の先で弄びながら出し抜けに女が云う。

「ほう。割りと切れるんだな──」

ロック・グラスの中の氷をカラカラとやりながら男が微笑を浮かべる。

「あなたの情報なんて1ミクロンもあれば事足りるわ」
「フフ。痛快なほどに手厳しい」
「あらそう?」
「ああ。美しい薔薇には何とやら、だ」
「フフ。おだてても何も出ないわよ」
「何でもお見通しなんだな」
「いいえ。見えないことのほうが多いわ」
「成る程、流石に聡明だ」


「俺の何処が身の程知らずだと?」
「そういうところよ」
「──?」
「訊けば何でも教えてくれると思い込んでる──」
「フフ。ガキだからな」
「それほど純粋じゃないわ」
「ガキは純粋なんじゃない。デリカシーに欠けてるだけさ」
「面白いこと云うのね」
「君ほどじゃないさ」
「あら。随分ね」
「君には勝てる気がしないがね」
「フフ。口の減らない人──」


「売れない俳優みたいなものさ」
「俳優?」
「ああ。なかなか共演者に恵まれない」
「筋金入りの身の程知らずね。愉快だわ」
「フフ。面白くなくても笑えるものさ」
「そうね。確かあなた、俳優だったわね」
「人の話を鵜呑みにするのは危険だな」
「その科白は頂けないわ」
「脚本家に云ってくれよ」


「俺のステージには俺しか居ないんだ」
「そう。随分と寂しいのね」
「や、意外とそうでもない。道化は悲哀が糧なのさ」
「──そう」
「オーディエンスは後で俺を知る」
「売れてないと惨めなものね」
「生憎だが、それで困ったことはない」
「──」


「いい俳優にはいい女優が必要よ」
「どんな?」
「あなたの二枚目気取りを際立たせるような──」
「かも知れないな」
「いいえ。予想の話じゃないわ」
「──」
「必然よ──」
「いい科白だ。博打打ちが泣いて喜ぶ」
「茶化さないで」
「出た目を拾ってるだけさ」

「ギャンブルは勝たないと意味がないわ」
「必勝法は心得ているさ」
「どんな?」
「博打を打たないこと」
「呆れるほど腰抜けなのね」
「賭けるものが見つからないだけさ」
「そう。やっぱり、あなたは身の程知らずよ」
「フフ。そろそろ種明かししてくれてもいいだろう?」

「追おうとしないもの」
「何を?」

「可能性の芽を──」
「何処にそんな芽が?」
「あなたの眼の前にあるじゃない」
「──?」
「そんな恍けた顔しても無駄よ?」
「や、面食らってるのさ」
「ホラ。すぐそうやって逃げを打つ……」
「フッ」
「だから身の程知らずなんて云わしめるのよ」
「まぁ、云わせておくさ」
「──」


「いい俳優にはいい女優が必要、か」
「そうよ」
「身震いするような飛び切りの上玉が」
「そうよ」

「ギャラは? 高いんだろ?」
「それは、あなた次第よ」
「ほう。俺次第?」
「そうよ。『共演』なんだから当然でしょ?」
「足を引っ張らないといいんだが──」
「それは共演者同士でカバーするのよ」
「おんぶにだっこだな?」
「いいえ。ギブ&テイクよ」
「相変わらず切れる──」


「そろそろ行かないか?」
「──何処へ?」
「ギャラの交渉さ」
「フフ。誰に?」
「俺の監督にだよ」
「何処に居るの?」
「いつでも一緒さ」
「監督兼、主演兼……」
「脚本家も兼ねてるさ」
「そう。忙しいのね」
「ああ。忙しくなりそうだ」
「やっと、身の程を知ったようね?」
「ああ。やっと気付いたよ──」
「何を?」


「今まで気付かなかったことが──」


カウンターには主を失った飲み掛けのグラスがふたつ──寄り添うように並んでいた。そのグラスを下げようとしたバーテンダーはふと手を止め、洗い終えた別のグラスを丁寧に磨いた。

彼は鼻歌混じりで仲良く並んだグラスを暫く眺めていた。

___ spelt by vincent.