「日本人っぽくないですよねぇ〜」
スウェーデンでの留学経験があると云っていた帰国子女の科白。何気ない切欠でカウンターの隣りに居合わせたのだが、他愛もない会話をしていたとき、そんなことを云われた。
「や、海外長いからねぃ〜」
「え? 何処居たんですか?」
「アルカトラズだよ」
「え?」
僕にとってはお決まりの科白だ。必ず最後にこう結ぶ。
「飛行機なんぞ鉄の塊ぢゃい」
僕は生まれてこのかた飛行機に乗ったことがない。
昨日今日云われたことではないのだが、冒頭の彼の呟きが不意に想起された。
『〜っぽい』って、何──?
「日本人っぽい」に含まれている意味。これを突き詰めてゆくと「教育」に繋がる。
「日本人っぽい」と云うことは、
日本で教育を受け、その価値観なりを尊び、それを「善し」とする環境で過ごすことに何の躊躇も疑問も抱かず自然体である。
と、そう云うことだろう。
受けた教育の中には「国是」とされているような「思想」の類いも内包されているだろう。特に、宗教色が強い国では教育の中にそれが組み込まれる。
それらを総括して、僕は「常識」と云う言葉を当てる。
少し脱線する…「世の中」と云う表現をする向きについて、僕は常日頃から「世の中?」と疑問を抱いていたりする。
例えば、「世の中、お金がすべてだよ」と云う言葉。このとき差している「世の中」とは、単純に資本主義が敷かれている国でしか通用しない「限られた世の中」である。故に、それほど広範囲には及んでいない。
閑話休題
僕は冒頭でも述べた通り、国外へ行ったことはない。日本各地に兄弟分やらへったくれやらは点在しているが、海外で過ごしたことは一度もない。
だのに何故、冒頭の言葉を聞くことができたのだろうか?
多分、彼が云いたかったことは「常識に縛られていない。発想が自由だ」と、そんなことを云いたかったのではなかろうか。
彼は実体験として日本人以外の民族に触れ、自発的に学び、それらを出生地に持ち帰って来たのだ。
開口一番「日本はつまらん」と云っていた。それは僕も同感だ。
優秀な人材が海外に流出してゆく傾向について、僕は直感的・理論的に理解できる。
多分、教育の部分に深く関わっていると思われる。
「個性を伸ばす」だとか綺麗事を云っている割りには「飛び級制度」などを導入しないし、何より平均的に「均す」ことを「善し」とする傾向が強い。
例えば、飛び級の話が出たので続けると、「頭が良い」と云うのは「個性」だ。
逆に、芳しくない者は懇切丁寧に教えたとしても、まるで効果がなかったりする──が、これも「個性」だ。
「こんなこと知らないとバカにされちゃうから…」
などと云う「表層の教育」を施すから、そのような…「バカにされる」と云う…事態に陥るのだ。
この場合、「バカにされるから云々」と云う教育ではなく「バカを自覚しろ」と教育すべきである。そして、それを「大いに伸ばし給え」と。
個性を潰すのは自分本位な偽善者の仕業に他ならない。
僕は日本人っぽくない日本人だ。
思考の根底──。
ここに陳腐な教育が介在する余地は皆無である。
「なぁ、君の世の中ってな、どこら辺にあるんだい?」
我が魂の命ずるままに──。