「──哀しいわ」
「何故?」
「分からないわ。けれど、何故か涙が溢れて止まらない」
「それは哀しみじゃない」
「じゃあ一体?」
「心が切れて血が溢れているのさ」
「何故?」
「俺と出逢ってしまったからさ」
「──」
「激しさを察知してしまったんだろう。心は嘘をつかない」
「何故、出逢ってしまったの?」
「取り戻しただけさ」
「何を?」
「前世の記憶を紡いで自分の持ち物を」
「──」
「自分の持ち物は大事にするべきだ。きみはどう思う?」
大海原
無限に広がるキャパシティの大海原に
その身を投じ給え。
うまく泳ぐ必要はない。
溺れ給え。
溺れるほうが苦しいが、
無限なのだから、辿り着く先はない。
やがて、力尽き、魂の器がただの器に還る。
抜け殻の器を抱いて、
深海へと呑み込まれてゆく。
苦境からの解脱。
差し込む光がゆらゆらと揺らめく。
だが、それを見ることはできない。
ひんやりとした温かいものに包まれながら、
深淵の深淵に沈みゆく。
固い岩盤をも通り抜け、
やがて、烈火のようなコアに到達する。
蒼白い炎と紅蓮の炎のランデヴー。
理論や感情は消し飛ぶ。
無限に広がるキャパシティの大海原に
その身を──。
迷子
「僕、方向音痴なのかなぁ?」
「え? どうして?」
「や、笑われると思うから云えないよ」
「なぁに? 教えてよー」
「ずっと迷子になってた」
「そうなの?」
「きみに出会うのにこんなに時間が掛かるなんて… 許してくれる?」
想起
「我思う 故に 我在り」
と宣った先人があった。
僕は、
「我在り 故に 我思う」
だと感じた。
そして、
「我無し 故に 我在り」
の根幹に到達した。
[ Neo Japanesque | Collaboration Vol.02 #04 MYSELF ]
を想起した。
vin.吐露
思ったことを徒然なるままに──。
妹のこと。
彼女は11年一緒に暮らした男と別れを告げた。彼女の両眼から心の血液が止め処なく溢れていた。
他の人に心を移してしまった。心地好さを感じてしまった。もう一緒に居ることはできない。ごめんなさい… でも、ありがとうが止まらない…
感謝と罪悪感とが入り交じった悲痛な叫び。僕は兄であるにも関わらず、何もすることができない。
近場で酒をご馳走した。
幾分、和らいだようだったが、まだまだ現実の壁が彼女を責め立てるのだろう。
父親のこと。
そんな彼女が転がり込んで来る。以前、僕も10年来の女と別れを告げ、彼のもとへ転がり込んだ。そのとき、頭をカチ割って生死を彷徨った。
彼は父親らしからぬ父親だと云うことは、誰に諭されることなく自覚している。娘の不憫さや自身の腑甲斐無さに小さな背中が震える。
彼もまた、20数年連れ添った女と別れを告げている。僕の母親だ。
母親のこと。
母性本能に溢れた気性の激しい女。娘の訴えを聞かされたとき、脱力して悲嘆に暮れてしまったと云う。
彼女は僕に会いたいがために妹との酒席に参加した。彼女と会うのは今年初めてだった。もうそろそろ年を越そうと云うにも関わらずだが…
彼女らの会話を客観的に眺めていると、根幹が似通っている、と感じた。遺伝子は抗えない。そして、性別の違いを否めない。
母親である前に彼女は女だ。女性の持つ独特のおぞましさや醜さを内包している。
母親として、女として。双方が入り交じり、骨子がズレてくる。感情論に支配されてしまうと、肝心な建設的な会話が成立しずらくなってしまう。
ただ、名目はやはり妹が主題だ。彼女の話を聞いてやることが今回の主題なのだ。
何とか仲裁風で話を続けたが、毎度のことながら何とも骨の折れる作業だ。
僕が家族との会話を求めないのは、この辺りにある。
僕には儒教的な長男と云う自覚はない。そんなものは単なる「順番」だ。
年功序列神話が崩壊した今となっては、僕の考えが正しいことが立証されたに過ぎない。
価値観が常に流動的なのは社会的動物が棲息するための必然的要素だと感じている。
社会的動物とは、我々人間を原生的生物として捉えた観点ではなく、枠組みに組み込まれた歯車である、と云う観点を差している。そこには暗黙のピラミッドも存在する。
歯車は歯車として、それぞれに与えられた役割をこなせばよいのだ。「私見」を封殺し、役割を全うすることに「甲斐」を見出せばよい。
僕は兄弟間でも会話を求めない。同じ遺伝子の組み合わせであるにも関わらず、何故、こうも違うのか?
それは遺伝子に依るところではなく、自力で切り開いた「社会性」なりが関与して来ると思われる。
彼らは自力で生活をしているが、社会性の部分では閉鎖的だ。平たく「世間が狭い」。
自分の知っている世界観がすべてだと錯覚している。それに気付いていないから生を垂れ流していられるのだ。
そして、「社会的貢献」と云うものに頓着がない。「自分さえ良ければ他人はどうでも良い」。この辺りは彼らだけではなく、一般的に大多数がこう云った考えだろうと推測される。
「知ってから悩みが生まれる」とは、この辺りから生まれた言葉だ。最も幸福なのは「無知」。だが、本当に無知であれば、幸福すらも定義の手段を持たない。
ただ、「世界征服」と云う観点からみれば、彼らはそれを成就していると云えよう。
以前から何度も同じことを綴っているが、世界征服とは地理的・政治的な征服ではなく「自身の持つ価値観・世界観」の征服のことである。「自己完結」とも換言できよう。
平たく「井の中の蛙」と云うことだ。差異はそれぞれの掲げる「井」の違い。この1点。
井戸の領域を拡大すれば、新たな歓喜なりを知ることになるが、同時に侭成らずの悲哀なりが付随する。
常に両極を抱きながら前進するしかなく「矛盾」とは必然の価値観なのだ。その最果てには一体何があるのか?
──何もない。
生物としての価値観の最高峰である「死」が待っているだけだ。
「どうせ死ぬ」
これをハイパーネガティブと呼んでいるが、この概念は決して暗い内容ではない。当たり前のことを当たり前に云っているだけだ。
この「どうせ」と云う言い回しを卑屈に捉えるのではなく、割り切る。すると、細かな雑事が…一時的にではあれ…払拭される。
ハイパーネガティブ──。
ネガティブを超越するのだ。ポジティヴすらも通り越し、スーパーポジティヴへと昇華する。
そして、「どうせ死ぬのだから楽しむ」にスライドするのだ。
curious epicurean; vincent.
直訳すると、
「イカれた快楽主義者; vincent.」
犇めき合う様々な価値観や激流のような感情のヴォルテックス。それらを自身が自身で捉え、それらを懸命に制御する。
真の快楽は容易く手に入らない。故に、渇望する。
我が魂の命ずるままに──。
The Maverick's Wings
固く冷たいアスファルトの上を
孤狼の眼光が何かを追い求める
途中 幾つかある薄明かりの下で
琥珀色の液体に 喉を灼き 焦す
流れる軽やかなビートに合わせて
紫煙が ゆらゆらと 身を捩じる
痩身な体躯の背中を丸め
生えていない翼のことを
ぼんやりと想い浮かべる
悦楽の狂演を背にしたまま
孤狼の眼光は何かを追い求めている
shooting star
どんなにかわいい女の子に囲まれていても
あなたがいない ただそれだけで
虚しさを覚える そんな夜
僕の想いは 満天の星空を貫く
一筋の流星になる
皇帝は諭すのがお好き
「これ、そこを往く平民よ。余を皇帝と呼ぶことを許可する」
眉を顰めた青年がはたと立ち止まり、皇帝に視線を向ける。
「は? えっと、僕に云ってるんですか?」
皇帝は顎髭を撫でながら表情を曇らせた。