「氷山の一角」と云う言葉がある。
例えば、
煌びやかな表情の裏側に隠された真実!
妖艶な微笑の裏側にはおぞましい実体が…
表層は内面を欺くための氷山の一角だった
…などと余り好印象を持たれない言葉のひとつだが、角度を変えると、成る程な、と思う。
氷山の一角。
目に映る部分はその全体の10%にも満たないと云われるが、実体はその10%にも満たない部分で評価されることが多い。
残りの90%は?
人はその全体像を掴めていないにも関わらず、曖昧な確証を以って「全体像」とする、と云う愚かしい一面を持っている。
知らないことのほうが多いことを
知っていることのほうが少ない
知っていることのほうが少ないことを
知らないことのほうが多い──
大きな愛を 受け止めなくても 構わない
受け止め切れなくても 誰も咎めやしない
深い愛に 溺れられなくても 構わない
溺れる者は 藁にも縋る それは「気休め」
大きな愛を 深い愛を
「理解」しようとしても
それは 到底 叶わぬ
「過ぎたるは及ばざるが如し」
その真髄を 垣間見るだけ
素敵で無謀な 魂の流浪人よ
「解」など要らぬ
「感」だけで良い──
ただ 感じれば それで良い
あぁ、愛されてるなぁ、と、
しみじみ実感できれば。
あぁ、愛しているんだなぁ、と、
しみじみ実感できれば。
たった、それだけのことが満たされれば、
空虚な時間つぶしに「彩」が添えられる。
氷山の一角。
10%にも満たない曖昧な蜃気楼を「幻想」として括ってしまえ。括ってしまうからと云って蔑ろにしている訳ではない。
気付いてしまったんだから仕方ない
「きっといつか」を「たった今」に──
その新たな驚きは、自身の奥底に眠っていた「ポテンシャル」が覚醒しただけ。
それに痺れを覚えて、少し「麻痺」しているだけ。
それは「慣れ」による「麻痺」ではない。愚鈍ではない鋭敏な自身に気付いただけ。
自身の中に横臥していた「何か」が、
その「心地好い快感」は、やがて「解感」へと変わる──
氷山の一角。
この言葉の中に既に「ポテンシャル」が秘められている。その実体を暴こうと暴くまいと、その全体像が露呈しようとしまいと…
在るものしか 顕れない
顕れたもので 他人が評価する
と云うことを、潔く受け止めよ。
ここに「スーパーM」の所以が含まれる。
そして、そのような「被虐的」ともとれる一切の行為・言動・シチュエーションは、自身が自身に課す「スーパーS」のポテンシャルに気付くこととなる。
自問自答とは究極のひとりSM
う〜ん 納得☆
そんなことをふと思った。←ふとが長い!w