世界征服──。
実弟が幼稚園卒園の寄せ書きに綴ったフレーズ。一笑に付される可愛らしい戯れ言と捉えられがちだが、これに僕は唸った。
一見、体育会系の者たちや、交通ルールに芳しくない者たちが掲げる指標──「全国制覇」にも見紛う羅列であるが、本質がまるで違う。
かのナポレオンなど、歴史上の英雄たちが目指した指標ではなく、「純粋な真理」を説いた概念だと感じたのだ。
齢幾ばくもない儚い存在にして、よもや、其処に到らしむるか──と、双眸を細めた訳である。やるな。弟よ、と。
僕が解釈する「世界征服」とは「自身の世界観の征服」ということだ。
人々が抱える悩みの多くは、この「自身の世界観」を征服できんがために解消されず、グルグルと虚しい旋回を繰り返す。
それを幼稚園卒園時に「将来の夢」として括り、掲げたのだ。
これほどまでにインパクトがあり、上等なキャッチコピーは他に類を見ない。何より力強く、また、クリティカルだ。
果たして、実弟は自身の掲げた、このテーゼに到ったのだろうか──勿論、僕は未到達だ。
そこでふと思考が沈み、やがて再び浮上する。やはり、「我が魂の命ずるままに」と云うマントラは汎用性が高い。
世に聞く「無謀」の類いは時流の「洗脳」が邪魔立てし、幼い感受性を封殺しただけに過ぎない。
本来、誰しもが内包していた紛れもない「真実の感性」なのだ。
それに気付かないのは盲目、鈍感──感覚が麻痺しているだけだ。
己の深奥で燻され、濃霧に包まれた「闇の領域」。
其処に眠れる獅子と臥する龍が棲息している。息を殺して、ひっそりと。
虎視眈々。妖しい眼光を滾らせ、武者震いに打ち震えている。
彼らを呼び醒ませ。
落雷の咆哮を聴け。
それは「慟哭」ではなく「世界征服の序章」なのだ。
魂のファンファーレを聴き遂げよ。
我が魂の命ずるままに──。
*2009.01.21・草稿