恋と愛の違い - 浅瀬でチャプチャプ

「なぁ、恋と愛の違いって知ってるか?」
「何だよ、急に」

「やぁ、知らなかったら教えてやろうと思ってさ」
「まぁ、話は聞いてやるが、初めに念を押しておくぞ? 『恋は下心で愛は真心』って話はナシだぜ?」

「──!?」
「どうした?」

「いやぁ、その… 何だ……」
「え? 何だよ、図星かよ!?」

「まぁ、その… そんな感じの話をしようかなぁ、なんて…」
「どんだけ浅瀬でチャプチャプしとんねん… 呆れるわ」



NEXT!!


恋 って云うから 愛 に来た──

___ spelt by vincent.

対等

対等とは、格上が格下を牽引する慈愛である。
故に、先に対等を口にした者は必然的に責を負う。

___ spelt by vincent.

打響 - ネイキッド・イノセンス・ピュア・シンパシー

打てば響く、ではなく、打って反応する者だけが響く。これが本当の打響──。

11月23日(月)勤労感謝の日、三鷹市民でもチケットがなかなか取れないことで有名な三鷹の森ジブリ美術館へ行った。
vincent.ファミリーは勿論のこと、遠路はるばる訪れた家内の友人ファミリーも合わせ、4組集まった。

大人7名、子供6名、計13名の大所帯。中には初対面の者も含まれており、素面で大人数と対面するのは些か抵抗を感じていたが、大人の事情というものはナイーブメントなレジスタンスを悉く駆逐する。

僕は、生来からのへそ曲がり気質が災いしてか、エンターテインメントやアトラクション等を素直に楽しむのが苦手で…アルコールが入っていないと特に…決して悪意はないのだが、ついて出るのは悪態ばかり、同行者の夢色気分に水を差すことが得意なようだ。

今回とて例外に洩れず、生憎の空模様も手伝い、正直、余り乗り気ではなかったのだが、痛く心を動かされた事件が印象に刻まれた。

「ネイキッド・イノセンス・ピュア・シンパシー」──である。

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【JavaScript】Uncaught TypeError: Illegal invocation - 回避方法


Uncaught TypeError: Illegal invocation

console.logにて上記エラーが表示された。
該当箇所を見てみると、


if (navigator.plugins && navigator.plugins.length) {

↑ここで止まってる様子。

ちなみに、モバイル用のデバッグを行っていたので、ああ、スマホはプラグインとかに依存してないからなぁ、などと考えつつデバッグを続行。
navigator.pluginsをコンソールに投げる。


▼PluginArray {}
	▶︎constructor: PluginArray()
	▶︎item: item()
	 length: (...)
	▶︎get length: ()
	▶︎namedItem: namedItem()
	▶︎refresh: refresh()
	▶︎__proto__: Object

ああ、lengthは取れないのね、と思いつつ中身を見てみると、


[Exception: TypeError: Illegal invocation at PluginArray.remoteFunction (<anonymous>:3:14) at Object.InjectedScript.callFunctionOn (<anonymous>:721:66)]

とまぁ、ありがたい呪文が、、w
スミマセン、ニフォンゴ デ オネガイシマス(´∀`*)

取り敢えず、上から順番に当たってみよう、ということで、constructorを開くと、あら、素敵☆


▼constructor: PluginArray()
	 arguments: null
	 caller: null
	 length: 0
	 name: "PluginArray"
	▶︎prototype: PluginArray
	▶︎toString: toString()
	▶︎__proto__: ()
	▶︎<function scope>

こんなところにlengthちゃん隠れてるじゃない☆

で、颯爽と下記のようにしましたよ。


if (navigator.plugins.constructor.length !== 0) {
	if (navigator.plugins && navigator.plugins.length) {
		〜とりまスマホにゃ関係ない処理ホニャララ〜
	}
}

ハイ! これでバッチリ☆
怒られなくなりました(´∀`*)

備忘録として。

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社会的社会性 - 最大公約数と云う括り

漫然と抱き続けていたつまらなさの原因が、ようやく紐解けたような気がする。
それは「社会的」というキーワードに集約される。

例えば、「いいトシをしてみっともない。少しはトシを考えなさい」などの年令に関係した制約の類い。これは「社会的」というキーワードで説明が付く。

「社会的に見てあなたはそれほど若くない。にも関わらず、子供のような振る舞いや態度はみっともない」スライドして→「トシを考えろ」──ここに落ち着く。

つまらん。トシなんぞ考えて何が面白いんや?
誕生日が来れば、毎年プラス1されるもんにどれだけ価値があるってゆーんや?
生きてりゃ誰でも実現可能。何の造作もない。

で、それに準じた制約って何よ? 酒も煙草もとうに解禁されたトシやで? 年令に縛られる制約ってまだ何かあるんかい。

それらの能書きが「社会的」というキーワードで丸め込まれる。

「大人なんだから」

閉塞感に拍車が掛かる。

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中生と生中の差異

中生ちゅうなまください」
「はい。生中なまちゅうですね?」
「や、中生だよ」
「……」

居酒屋でのワンシーン。
店員が注文を復唱するとき、僕は必ずといっていいほど、この問答をする。

これは、お客様の注文した通りに復唱せい、という輩気質やからきしつから生じるものではなく、省略形を使うなら正しい省略形を遣え、という憂慮から生じるものだ。

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精神論

死んだ気になれば何でもできる、といった類いの精神論には何の根拠もない。

この手のテーゼを自身に課すのは一向構わないが、他に向けた激励の常套句として乱用するのは頂けない。

死んだら終わり。何もできない。故に、その気になっても何もできない。これが先の精神論の正解である。

この正解は、ある程度、思考が回転する者ならば大抵が知っている。知りながら放たれる先の精神論が、それほど他人に刺さる筈がない。

それでも尚且つ敢えて綴ろう。塗り染めよう。

 死んだ気になれば何でもできる──。

一度も経験したことのないことを誰が否定できようか? 可能性の芽は摘んだ時点で死に体だ。──ほら、もう死んでしまった。

可能性の芽を摘む行為が、既に死んだ気にさせてくれるとは… 可能性がないのに何でもできるのか?

いやはや…

やはり、精神論はパラドックスに満ちている。脳内撹拌は生きている内にしかできない贅沢である。

 生きてるうちにやりたいことをやれ。

そんな感じで♪

___ spelt by vincent.

敬意と慈愛

相手に対する敬意がなければ優位性は保持されない。

つまり、人間関係における上下関係と云うものは、下の敬意によって確立されている、と云うことだ。

上を自負する諸氏は下の抱く類い稀なる慈愛を感じなければならない。それがなければ上では居られないのだから。

そうなると、どちらが上でどちらが下なのか… 何とも怪しげな枠組みの稀薄な境界線が透けて見えてくる。

ふと、そんなことを感じた。

___ spelt by vincent.