打てば響く、ではなく、打って反応する者だけが響く。これが本当の打響──。
11月23日(月)勤労感謝の日、三鷹市民でもチケットがなかなか取れないことで有名な三鷹の森ジブリ美術館へ行った。
vincent.ファミリーは勿論のこと、遠路はるばる訪れた家内の友人ファミリーも合わせ、4組集まった。
大人7名、子供6名、計13名の大所帯。中には初対面の者も含まれており、素面で大人数と対面するのは些か抵抗を感じていたが、大人の事情というものはナイーブメントなレジスタンスを悉く駆逐する。
僕は、生来からのへそ曲がり気質が災いしてか、エンターテインメントやアトラクション等を素直に楽しむのが苦手で…アルコールが入っていないと特に…決して悪意はないのだが、ついて出るのは悪態ばかり、同行者の夢色気分に水を差すことが得意なようだ。
今回とて例外に洩れず、生憎の空模様も手伝い、正直、余り乗り気ではなかったのだが、痛く心を動かされた事件が印象に刻まれた。
「ネイキッド・イノセンス・ピュア・シンパシー」──である。
館内催しのひとつ、アニメーション上映会「コロの大さんぽ」
その渦中でハートウォッシャブルな1コマに遭遇したのだ。
あらすじは飼い主の女の子を追って仔犬が方々街中をさまよう、というもの。
都会に敷き詰められた交通網は、脆く儚い存在にとって様々な危険を孕んでおり、観る者をハラハラさせるのには十分だ。
途中、胸を締め付けられるシーン(鉄道。警報が鳴っている踏み切り。列車通過。仔犬飛び出す。あわや大惨事…すんでのところで助かる等)を何度も経て、いよいよ物語も佳境に差し掛かった。
女の子がやっとの思いで仔犬を発見。「コロー」と叫んだ瞬間、後ろの席から大号泣が轟いた。
驚いて振り向くと、家内の友人ファミリーのうちのひとりの女の子がグシャグシャになって泣いている。
途中、「トトロはいつ出てくるの?」と頻繁に尋ねていたのだが、ストーリーだけはきちんと追えていたのだ。
仔犬が見つからない→不安・緊張→仔犬が可哀想、女の子も可哀想→一日千秋の想いで邂逅→安堵・弛緩→感情爆発→号泣。この流れ。
僅か15分足らずの尺の中で感情移入することは大の大人ではなかなか難しいことだと感じる。
だが、女の子は事もなげにそれをやってのけた。頬を伝う穢れなき透明な液体が何よりの証拠だ。
ピュア・シンパシー
打てば響く、ではなく、打って反応する者だけが響く。これが本当の打響──。
それは作為と虚飾で彩られた如何なるエンターテインメントをも凌駕していた。
掛け値なしのネイキッド・イノセンス。
素晴らしい感動を覚えた。
君は素直で優しい、美しい心の持ち主だね。
銀灰色の頭髪を携えたおいちゃんには、それが一番堪えたぜ。
ありがとう。
面白きこともなき世を面白く。
素敵なことは日常に隠れている。