特別と差別。どちらもフィルターが掛かっていることに違いはない。ベクトルは他者に向けられた完全な主観思想だ。
違いは、好意と敵意、善意と悪意とがそれぞれに分岐しているだけだ。その意向に呼応して某かを感じ、それに基づいた言動を採る。
好意・善意を寄せる者には特別な感情が働き、その期待に応えようと愛情なりを注ぎ、敵意・悪意を向ける者には根拠のない優劣や格差を付け、それを理由に排除しようとする。
特別視も差別視も根底部分では大差ない。
そのように見る主観思想がどちらかの言動を採択しているに過ぎない。
要するに、お互い様ということだ。