「究極の真理」。
森羅万象を司ると呼ばれるその概念を仮に「100」とするならば、必然的に両端である「極」が存在し、それは互いに「1」ずつの領域を確保しつつ、それぞれの極端で孤立し、互いに相対し、屹立している。
その両極の狭間を埋める残り「98」が所謂「どちらでもない」という曖昧な領域であり、凡そがその領域内で終始する。
或る意味、俗人でも捉えることができる「因果律の法則」に支配されている、と云えるだろう。
ただ、個人的にはその領域内には余り魂が響かない。
響きはしないのだが、存在は否めない。その辺りの括りに過ぎない。
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