対等考

対等に上から目線などと云う受動はない。受動であることを認識できないが故に劣等感なりを抱く。

結果、一段下がってしまうのだ。
無意識に一段降りてしまうのだ。

必然的に相手の目線は自分の目線よりも上がる。自分から降りておいて上も下もあったものではない。

意識的に能動でなければ喰い殺される確率が高い。

不足・不備を補おうとする果敢な能動──それができない場合、「従属側」に廻ることが多い。

状況としては「打ちのめされる」「煮え湯を飲まされる」等々、要するに「一方的な傲慢」を呑まされる、と云うこと。

ものすごく「不都合」だ。


この辺りが「不平等」の所以でもあるのだが、「不可能に挑む姿勢」が人を美しいものに変えるのだろう。

ここに「努力」を当てる向きもあるが、僕は「悲愴」を当てる。

悲愴を纏って突き進む──。

自身の中に「流儀」を内包すれば、「ヒロイズム」と取れなくもない。

独自のヒロイズムを抱く。
そこに「感性」が求められるのだろう。


対等、同格、互角、五分、五寸、タメ──。

どれも似たり寄ったりだが、すべて意義根底が違う。それぞれの定義はそれぞれが定めればよい。

精神論は何処まで行っても精神論。万人に当て嵌まる「正解」は何処にもない。


経営者は人間関係で悩まない。
はてさて。一体、何を経営しているのか?


僕の従業員は僕だけだ。

___ spelt by vincent.