「流儀」とは… 例によって解析開始。
流れる人の義。
「流儀を貫く」とは、一見、一本筋が通っているようで実は「流れている」と云うことを見落としがちだ。
後半。「人の義」。
「義」とは「美」と「我」の合成だ。
我、美しくあれ、と願う心と、
我、美しくあれ、と支える心。
故に、人は義に生き、義に死ぬべきなのだ。
「殉じる」とは、こう云うこと。
流儀を貫く、とは、生半可な姿勢では困難である。中途、くじけても誰からもお咎めはないだろう。
貫けないのは「お互い様」だからだ。
ただ、「自分ダメ出し」からは逃れられない。それでも流儀を貫こうとすると…
「真の痛み」を知ることができる。
我、流儀に殉ずる流離の魂人なり──。