「もう! あんたなんか要らない!」
溜まり兼ねた女が怒声を浴びせた。
「ほう。レシートか領収書はあるのか?」
悪びれる様子もなく、男が問う。
「どういうこと?」
「要らないなら返品すればいい」
「あんたを買った覚えはないわ!」
「それはどうかな?」
女の怪訝な表情。
不在通知
神様は誰の云うことも利かないが、お願いするのは自由だ。
苦しいときの神頼み。
いい気になって、何度も、何度でもお願いしてみよう。
どんなに無理難題をふっかけても神様だから怒らないはず。
仏の顔も三度まで。
ありゃ? ひょっとして四回目はアカン?
や、神様やし大丈夫か。って、仏様?
ま、両方ともいねえから、まいっか☆ ねー
そんな感じで♪
*2016.10.04・草稿
健忘の彼方へ
泣くとすべて忘れる。
嬉し涙。悔し涙。感動の涙。失恋の涙──。
記憶に残っているのは泣いたという「事実」だけ。
何故、泣いたのか、どういうシチュエーションで泣いたのか、どうして泣いたのか…
不思議と悉く何も残らない。
泣くとすべて忘れる。
泣くという行為は、健忘という自己防衛本能のひとつなのかも知れない。
最近、とんと涙に縁がない。
記憶は鮮明だが、取り立ててピックアップする事柄もない。
それはそれで悲しい。
よし、泣こう。
あ…
そんな感じで♪
*2016.12.21 草稿
可笑しな日本語
「理屈抜きで間違ってるよ」
「や、正しいとか間違ってるってのは理屈があって揺れ動く訳で…」
「整合性抜きで間違ってるよ」
「や、それ抜いたら基準なくなってまうし…」
「間違っても間違ってるよ」
「そう。もうね。全然、正しくないじゃん! 間違ったら間違いやん? そこに仮定はないのよ、お分かりちゃん?」
「間違いなく間違ってるよ」
「だから、どっちなん?」
「どう考えても考えられないよ」
「ハナからいっこも考えてへんやんけ…」
「間違いか正しいかなんて考えられないよ」
「や、考えろよ」
「逆に、相手の立場になって考えてみてよ」
「どうあってもお前が正なんやな? どっちが自己中やねん… つか、ちょ待てよ──お前が俺に向かって何か云ってるってことは、俺の相手てなお前ってことだよな? で、相手の立場てなお前の立場ってことになるんだが、その逆ってことは、跳ね返って俺の立場のことを差す。な? 『逆に』てのがどんだけ可笑しな表現か分かったか? 『逆に』なんて、逆に云わんでえーねん、逆に」
「分かるか分からないかなんて分からないよ」
「分かっとるやん! 『分からない』云い切っとるやんけ」
「信じるとか信じられないとか信じられないよ」
「ハイハイ、信じられないのね…」
「あり得るとかあり得ないとかあり得ないよ」
「もうね。全体的に力一杯、理屈抜きで間違ってるよ、君は…」
*2016.08.29 草稿
シナプス
アニメ「昭和元禄落語心中」のワンシーンから「美鈴屋」→「みすずや」と黙読。
確か「鈴」は「レイ」とも読むなぁ、と。
→「美麗屋(びれいや)」。ウム、美しい。
横道。「北方→喜多方」。「焼き物→御家喜物」等々、日本の言葉遊びの雅を感じる。
これらの派生が「駄洒落」なのかなぁ、と。
「鈴」に戻って、
鈴の音→鈴音→りんね→輪廻。
「輪廻」はサンスクリットでサムサラ。
ああ、GUERLAINの香水SAMSARAはここから… と命名の由来に。
何てことない脳内シナプス事始め。
酉年だけに酒られない。
毎度、vincent. 今年も宜しく。
三歩歩けば大体忘れる。<ダメじゃんw
そんな感じで♪
当たり前の基準
腹が減ったらどうする?
眠くなったらどうする?
そんな当たり前のことすらできない。
だから、泣き叫ぶ。
子を持って初めて気付くこと。
自分の当たり前は自分だけしか通用しない。
食べる方法も眠る方法も何も知らない。
だから、泣き叫ぶ。
大人の流す涙がどれほど汚いのか──。
思い当たる節々に見事に突き刺さる。
そんな善人ぶった綺麗事を余所に、
苦笑を浮かべながらアルコールで喉を灼く。
良いお年を。
そういうんじゃねえんだよなぁ
好きとか嫌いとか…
分かり易くそう云ってるだけで
そういうんじゃねえんだよな
命を預かる、育むってのはさ
好き嫌いじゃねえだろ?
好き嫌いじゃやってらんねえよ
死ねるか死ねないかって問題だろ?
俺はそう思う
好きとか嫌いとか…
そういうんじゃねえんだよなぁ
分かる?
って、分かんねえだろうなぁ…
そういうんじゃねえんだよなぁ…
信疑の真偽
「信じるの反対って何だと思う?」
「疑う?」
「違うわ。信じない、よ」
「──!? じゃあ、疑うの反対は?」
「疑わない、よ」
この定義の差異が決定的な差異を生む。
対義語では表現し得ない真偽がここにある。
ベースを揺るがすとは、こういうこと。