小学生の頃、
「犬と遊びたい」と云って、
会いに行った女の子のことを
ふと思い出す。
それほど気にしてなかったにも関わらず、
「髪伸びたなぁ」と云って、
会いに行った床屋の女の子のことを
ふと思い出す。
女の子の顔は忘れた。
ただ、そのときの気持ちは、
ぼんやりと覚えている。
いつからだろう?
「会いたい」と云う自分の気持ちに
「理由」が必要になってしまったのは…
いつ頃からだろう…?
思い出せない…
脳細胞は劣化するのみ…
脳細胞に限らず、
細胞のひとつひとつは
刻一刻と死に絶えてゆくのみ…
そんなことが、ふと脳裏を掠めた。
コメント
2005年07月08日17:22 vincent.
「想い出は要らない」と云って憚らないが「不要だ」とは云っていない。
理解の補足的に云うなれば、想い出作りのための想い出は要らない、と云っているつもりだ。
同時に、欲さなくても常に作られる、と云う現実に対するレジスタンスであり、欲望・願望のひとつ、と換言できるのかも知れない。
記憶が儘なるうちは常にその呪縛から逃れられない。反芻の材料を常に頭の中に抱えていることになる。
平たく、「自己嫌悪」や「反省」や脳内の分岐処理である「善悪の判断」や「気分の良し悪し」などが死ぬまで継続される、ということだ。
アーカイブは要らない。
ストリーミングが自然。