ナビゲーション・デザイン考

クライアントとの折衝において、最もプライオリティの高い要素として「ナビゲーション・デザイン」がひとつに挙げられる。

ナビゲーション・デザインとは導線設計。平たく、導線の張り方・在り方である。

サイトに訪れたユーザに対して発信者の伝達したいことをベースにサイト内を的確に誘導する。

根底には発信者の意志や思惑が流れている訳だ。

「このサイトではこうするのがルールだ」的なもの。それが余りにも鼻につくとユーザは煙たがる。

それを如何に「さりげなく」感じて頂ければ良いか?

と、そんな風に捉えている。


発信者のベクトルを「一元的」と括るならば、受信者のベクトルは「二元的」と括れるだろう。「主観視・客観視」とも換言できる。

主観視は非常にウザイ。一元的な誘導設計は当人にとっては大変都合の良いものだが、二元的な者にとっては無関係であり、煩わしいだけである。

「や、云いたいことは分かるけどさぁ…」

こんな感情を抱かせてしまったら、ユーザは早々にサイトから足を切り上げてしまい、発信者の意志はうまく伝わらない。

「こちらの伝えたいことをあちらにうまく伝えるには?」

この命題が「ナビゲーション・デザイン」に掛かってくる。


現状、ユーザはかなり成熟してきている。

「Web2.0」なんて言葉がまことしやかに浸透しているのも、ユーザが成熟したひとつの証拠でもある。「素人にゃかなわんなぁ〜」などとぼやいている場合ではないのだ。

まず、素人に翻弄されている(自称含む)玄人が熟考せねば、クライアントの悲劇は終わらない。


僕は導線設計に「視線の流れ」や「心理的誘導」などを用いる。言い換えれば、こちらの『当たり前』を『当たり前』だ、と感じて頂くための工夫。

特段、派手な装飾などは不要である。

「詳細はこちらへ>」や「次のページへ>」

このテキストリンクだけでも立派な「誘導」である。

これを画面内のどこに配置するのか。要は「レイアウト・デザイン」である。視線の流れを考えれば、すぐに紐解ける。

伝えたい内容、要は「コンテンツ」の下部、それも右側。そこに配置するのが一番「自然」だ。


「デザインの輪郭」より「行為に溶けるデザイン」の一説。

行為に溶けるということは、そうしてしまう、ということです。
人間は、自分で決めて働いているのではなくて、環境に動かされている。

こんなフレーズ。

天動説や地動説、果ては操り人形の類いまで僕の頭の中では様々な事柄が狂喜乱舞したのだが…

能動的(であると思われている)行為ですら、実は受動的行為なのだ、と諭されたようにも感じる。一様に限りなく「意志薄弱」である、と。

そして、少し脱線して…

先天的な「S」は存在し得ない。「生まれた」と云う、ただそれだけで、そのこと自体、事実が既に「M」なのだ、と。

vincent. SM論にまた拍車が掛かってくるのだ。


それらを踏まえて、的確な「ナビゲーション・デザイン」を根底に、有効な「レイアウト・デザイン」を以て、一元から二元へと意思を伝達する。

『わたしからあなたへ…☆』──そんな「コミュニケーション・デザイン」にも通ずると感じる。

主観・客観をうまく取り入れ…僕はよく「俯瞰しろ」と云う言葉を使う…グローバルとローカルとを双方のベクトルを捉えよ、と。

そうすることによって「自然」と云う最も適宜な「必然」が導き出される。

…敢えて、受動態で括ってみた。


深澤氏(前述の本の著者)は、こうも綴っている。

僕がこれを考えたように見えるといわれますが、それは僕が考えたわけではなくて、そうなるべき姿であったということの結果だと思います。

僕の好きな語彙のオンパレードである。

これのタイトルは「考えない(without thought)」──タイトルから悶絶である。


「そうなるべき姿」──僕は「然」と云っているが、これがすべての「本質」である。

その本質を如何にうまく伝えるか。

ナビゲーション・デザインに関わらず、すべての道に通ずる命題だと感じる。

それに対して自問自答を繰り広げ、答えのない迷宮を延々と彷徨っているのが、我々「人間」と云うオブジェクトの「然」である。

故に、「生あるうちは救われない」と云い切るのだ。「救われたい」と願うこと、望むこと、それらすべての「願望」を棄てよ──絶望せよ、と。

そうすることによって浮上してくる「新たなる然」。

それは「新たなる」と云う「錯覚」を覚えたりするが、紛れもなく、そもそも保有していた「然」である。無いものは決して顕われないのだ。

それを僕は「ポテンシャルの覚醒」と呼ぶ。


「そうなるべき姿」とは「本来の姿」。
そこへ帰ってゆくのに躍起になっているのだろう。

生を継続するにあたり、否が応にも…要・不要を問わず…某かの「プラス」が蓄積されてゆく。

要・不要の品定めを吟味し、不要(と思われる)要素を思い切って棄てる。

僕は「マイナスの美学」と呼んでいるが、その根幹は「回帰願望」なのだろうか?

___ spelt by vincent.