植物と人間の関係──。
こんな疑問がふと生まれた。
我々人間は酸素を吸引し、二酸化炭素を吐き出す。対する植物は二酸化炭素を吸引し、酸素を吐き出す。
立派な「相互補完関係」だ。
我々は酸素を望む。
彼らはそれを生む。
彼らは二酸化炭素を欲する。
我々はそれを与える。
更に「取捨選択」を考慮に加えてみる。
何故、我々は酸素を拾い、二酸化炭素を捨てるのか?
何故、彼らは二酸化炭素を拾い、酸素を捨てるのか?
瞬殺氷解──「不要」だからだ。
「捨てる神あれば拾う神あり」
「拾う神あれば捨てる神あり」
そんなメビウス・リングが浮上する。
そして、その取捨選択には「独自」の「要・不要」分岐、それが「暗黙」で組み込まれていることに気付く。
穿って考察を続けてみると…
人間と植物の関係。
それは「お互いが不要としているもの」を相互に掠め奪い合いながら同居している。
と、云えるだろう。
もっと云えば…
お互いに忌み嫌っているものを押し付け合っている。
故に、調和しているように見えても根底ではお互いがお互いを避け合っているのかも知れない。
彼らの意図する「善・悪」とは…?
物云わぬ彼らは静かに問い掛け、静かに根幹を伝える。
コメント (1)
トカゲの尻尾切り。臭いものには蓋。
これらのワードが浮かんでくる。
「責任転嫁」と云う「然」は、
我々の「業」のいち部分なのだろう。
厭なものを押し付けられたら、、
まぁま、煙幕張って逃げちゃうべき☆
ま。逃げ切れるんだったら☆ ねー