何故、登るのか。
そこに山があるから。
或る登山家はそう答えた。
登り詰めると何が見えるのか。
渺茫たる荒野が眼下に横たわる。
頂に至るまでは、その光景は描かれない。
一切の苦難を取り除こうと必死に藻掻く。
そして、頂に至る。
寂寥感が込み上げる。
諦めない、と云うことは「諦め」を捨てること。「諦める」と云うことを自分の中から捨てること。そうすれば「諦める」と云う選択肢は選ばれない。
独自の諦観とは「決して諦めることはできない」と云う、自分自身で絞り込んだ限られた選択肢について、自分自身で強く念じ、それを潔く呑み込むこと。
そんな風に思う。
未練はない。
常に練り込まれている。
これは執着心。
仏教では煩悩のひとつとされているが、煩悩がなければ人は死ぬ。
煩悩は「支え」を欲する。支えがないと人は死ぬ。
否、執着心ではないかも知れない。
浪漫。
誇大夢想家は、見果てぬ浪漫を抱えた侭に、夢見るように朽ち果てる。
さぁ、次の山に登ろう。
誰か、険しい道のりを案内してくれよ。
いろいろな山を制覇したから何処へ行けばいいのか。
ちょっとよく解らないんだな、これが…
出来れば一緒に登ってくれよ。
危険な目に遭わせたい訳じゃないんだ。
危険なシーンを紡ぎ出して一緒に克服する。
頂に至るまでに、それを楽しめればいいと感じるんだ。高尚な自作自演だろ?
ああ。そうさ。
僕が募っているのは「道連れ」だよ。
道連れる覚悟がないなら降りてくれ。
覚悟って何、だって?
そうだな、例えるなら…
今、君は断崖絶壁の淵に立たされている。
僕が押せば奈落の底へ真っ逆様…
それでも構わないって思えるかどうか…
──そんな感じかな?
勿論、僕も続くがね。
空中でキャッチして抱き寄せるさ。
と云うより…
抱き合った侭、一緒に堕ちてゆくさ、
君ひとりを行かせやしない。
ん? やっぱり厭だって?
あはは そうだろうね。
危ないからね。僕も危ないって感じるよ。
まだ、君には無理かも知れないね。
僕が先に行って均してしておくよ。
君を危険な目には遭わせたくないからね。
ゆっくり登るよ。
後からついておいで。
ま、気が向いたらね。
何故、登るのか。
理由なんてないんだよ。
そこに山がなくても、
生まれた瞬間から登り始めているのさ。
「死への階段」と云う山を──。