例えば、砂漠でオアシスを求める人に水をぶっ掛けても、その人はぶっ掛けた人を憎んだり恨んだりしない。
逆に「お願い、もっと…」と哀願するだろう。
それらを脳内演算で弾き出す行為を僕は「脳内SM」或いは「精神的SM」と呼んでいる。
「ほら、もっとぶっ掛けて欲しいんだろ? やめて? やめないで? どっちなんだ?」
言葉責めと脳内折檻には異質な愉悦の汁が滴っている。常識空間では決して紡ぎ出されることはない。
身の毛もよだつ背徳感──。
二者間において双方合意が取れておれば、お互いに快楽と愉悦を貪ることができる。
嗚呼、この邪なスーパーシュールレアリズムをあなたと共有できたなら……
超現実主義とは現実主義を超えること。
故に、真の理解は不能。
理解不能より理解不要。
そこに「ハイパーネガティブ」と云うマントラがまことしやかに連立する。
ハイパーネガティブとはネガティブを超越することである。「ネクラ」などと云う概念など、到底、足許にも及ばない。
──
「どん底」である。
vincent. addiction
「中毒性がある」
そんな言霊が虚空で優雅に舞う。
「いいクスリがある。味わってみるかい?」
日常茶飯事、溺れ給え──。