人は自己判断のみで生を垂れ流す。
自己判断とは、自分にとって好都合なことだけを抽出し、好都合に解釈し、受け入れ、それを「自己のものである」と云う確信に押し上げることだ。
逆に、不都合なことは例え正論と云えども浸透せず、受け入れない。
好都合・不都合の篩に掛け、取捨選択を行う。それは要・不要でも同じこと。
いずれにおいても自分中心軸はブレない。しかも、それを我が物顔で振る舞う。
何とも身勝手な生き物だ。
「客観的な自己判断」と云うものもあるが、それも飽くまで、自身の判断による「客観視」だ。どうしても「主観寄り」になることは否めない。
自分は常に自分の味方をする。
「自己中心的でない人間などこの世に居ない」──こう云わしめた所以だ。
2008年3月 アーカイブ[15]
優しさの在処
人の優しさに触れると、
鼻の奥がつーんとするのは、
自身の優しさがそこにあるからだ。
Flamenco Guitar
ヴォリュームを絞った BGM
メロディアスな Flamenco Guitar
グライコが跳ねる
絶対服従の命令を呑ませる話術 - 形勢逆転の秘術
A: 「余計なことは喋らなくていい」
B: 「…と云うと?」
A: 「必要なことだけ喋ってくれ」
B: 「うまい命令だな」