謝 - 漢字解体

「謝」と云う文字の解体を行う。

まず、篇とつくりを分離。
「言」と「射」に分かれる。

ごんべんの「言」は云わずもがな「射」のほうは「射抜く」など「某かを撃ち抜く」と云う意味が込められている。

これらをまとめると、「謝」と云う文字が持つ意義が垣間見える。

 言を射る。

より理解を深めるために装飾すれば、

 言霊を発射する。

と云うことだ。

「感謝」と云う言葉がある。

上述に準えれば、

 感じた言霊を発射する。

と云うことだ。

「感謝」の持つ意義根底が自分が知っていることよりも、よりディープなものであることが窺える。

「感じた」のは「こちら」だ。故に、「感じた言霊」と云うのは「こちら」が抱いた「一方的な想い」である、と云える。

その「一方的」な想いなりを他方に向かって「発射する」のだ。

──ともすれば「自分本位な砲撃」である。


前節は「感謝」を「能動的」に捉えた場合の解釈だ。これを「受動的」に捉えると、どうなるか?

 感じる言霊に射抜かれた。

──何故か、ときめくのは気の所為か。


「謝」の前置きとして置かれた「感」の語尾が多少変化するのは「思考回路の手続き」に依るものだと云えよう。

平たく、時制の違い。「感じた」と云う「過去形」と「感じる」と云う「現在形」の違い。

咀嚼のために「感謝発生」のフローを辿ってみる。

まず、前節の「能動的感謝」から、

  1. 「他」からの「某か」の投げ掛け *「作用」
  2. それを受ける「自」 *「受理」
  3. 「自」に「感」が発生。 *「某か」に対する「呼応」
  4. その「感」を形にしたいと云う「欲求」が発生 *「バッファリング」
  5. 「感謝したい」と云う「欲求」が象られる *「抽出」
  6. 「ありがとう」と云う言霊を「他」に向けて「発射する」
  7. 「どういたしまして」と云う「他」からの「呼応」が「自」に向けられる
  8. 「自」の「感謝の欲求」は満たされる。*「欲求解消」
  9. 「自」は「満足する」 *「サティスファイド」

こんなフロー。
次に、次節の「受動的感謝」。

  1. 「他」からの「某か」の投げ掛け *「作用」
  2. それを受ける「自」 *「受理」
    *ここまでは前節と変わらず
  3. 「自」に「感」が発生。 *「某か」に対する「呼応」
    *まず、ここがショートカットされる
  4. その「感」を形にしたいと云う「欲求」が発生 *「バッファリング」
    *ここもショートカットされる
  5. 「感謝したい」と云う「欲求」が象られる *「抽出」

    以下、すべてショートカット、と云うよりデリートされる。

  6. 「ありがとう」と云う言霊を「他」に向けて「発射する」
  7. 「どういたしまして」と云う「他」からの「呼応」が「自」に向けられる
  8. 「自」の「感謝の欲求」は満たされる。*「欲求解消」
  9. 「自」は「満足する」 *「サティスファイド」

お分かり頂けるだろうか? タイムラグなしでダイレクトに「感じる」のだ。「反射神経」のプロセスにも似通っているかも知れない。

そして、悩ましいことに「自」の抱いた「感謝の欲求」は「満たされない」のだ。

「自」の抱いた「言霊」なりは「自」の内面で旋回し「封殺」される──「射抜かれた」のだから当然と云えば当然である。

要は「うぅ…やられたぁ…」と云うことだ。


ここで「ありがとう」の意味に少し変化を感じる。

否、それは変化ではなく、そもそも内包されていたものに改めて「気付いた」と云うことだろう。

要は「覚醒」──である。ポテンシャルの覚醒。


ありがとう=有難う

有難う→有り難い→有ることが困難である=有り得ない

 有り得ない──。

「自」が抱いた「感」は「有り得ない」──。
要は「無いもの」である、と。

では、この内面を旋回するものは何なのだ? と。想いが形を成さず、やきもき…もやもや… 煙が立ち込める。

 色即是空 空即是色

「そもそも何もない」と云うこのマントラが、まことしやかにその信憑性を高める瞬間でもある。

そして、同時に心地好い悶絶──でもある。


「受動的感謝」に覚醒すると、自身の抱いた「感謝の気持ち」と云うものが、一体、どう云ったものであるのか、と…

適宜な回答を導き出せないが故に、

 更にディープに深まる──。


「感謝」の「言霊」は重い。圧倒的重量級。ヘヴィウェイトだ。

それを「他」に向けて「発射する」とき、両「感謝」発生のプロセス──「能動的感謝」と「受動的感謝」を考慮し、内包すると、自が放つ言霊は心地好く他に滲み渡る──。


故に「ありがとう」と云いたい。

「受動的感謝」でありつつも溶け入って、せせらぎのように相手の内面宇宙に滲み渡ることを願って──。

___ spelt by vincent.

コメント (2)

vincent. 2007年9月21日(金) 07:44

「受動的感謝」を理解すると「陳謝」の意義が理解できる。

要は「ごめんなさい」の気持ちのことだ。
その発生プロセスは、「感謝からの変化」とも云える。

要は「受動的感謝」の変化が「陳謝」である、と云うこと。

故に、「ごめんなさい」は割と簡単なのだ。
それは「やられっぱなし」で居れば済むからだ。

受け続けていられるだけの「耐性」なりがあれば、
サンドバッグ状態で相当なダメージを喰らっても、
そのままで居られるだろう。

ここに「図々しい」と云う概念が隣接する。
「いけしゃーしゃー」なんかも隣近所に居るだろう。

故に、僕は「ありがとう」を推奨する。

なけなしの魂でも削り出して他に向けて放つべきだ。
無くなったら、また紡げば良い──。
そもそも、何もないのだ。

僕は、そんな風に感じる。

(´∀`*)ねー

vincent. 2007年9月21日(金) 09:10

それを出し惜しみする者に、
僕が「生意気」を感じるのは、
僕の中では「当然の思考プロセス」なのだろう。

同時に「可愛げがない」と云う感情も生まれる。

僕は、生意気で可愛げない輩が嫌いだ。

僕は、「嫌われたくない」と云う「保身」からではなく、
生意気で可愛げないことをせぬよう心掛けているつもりだ。

それはどーかな?って感じ?

まぁま。。(´∀`*)