- ありふ・れる【有り触れる】
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(動ラ下一)〔文〕ラ下二 ありふ・る
世間のどこにでもある。珍しくない。多く「ありふれた…」「ありふれている」の形で用いる。
「ごく─・れた花」
「ありふれた」と云う表現
使い古された感さえある言葉
だが 当てた字に思わず唸ってしまった
「有る」と「触れる」の複合
現実に「有る」から「触れる」のか
それとも 「有る」から「触れる可能性」を持つのか
はたまた「触れる」とは 受動的なのか 能動的なのか…
いずれにしても イマジネーションの膨らむ言葉だ
「ありふれた」と云う表現
意味合い的に「ちっぽけな」や「つまらん」なども含まれているように感じていたが
それこそが「日常に埋没してしまっている誤解」
日常とは 奇跡の連続である
「ありふれた」ことに 立ち会える喜びに感謝の念を──
そして それは五感のひとつ「触覚」を意識せずに…厳密には「潜在意識下で」…図らずも駆使している と云うことを噛み締めたい
相変わらず 辞書は新たな発見に溢れている
「自分の常識」=「自分の物差し」だとすると「世間の常識」と云われるものと照らし合わせたとき、それが如何に曖昧で、不確かで、陳腐なものであるか、と云うことを──そんなことを痛感する。
それを「知る」ことは必要だが、それを「身に着けるかどうか」は、やはり各人の魂の命ずるままに。
人は誰もが或る意味「操り人形・従属側 」──「コラテラル」=「巻き添え」であるとするならば、他の誰よりも須く「己の奴隷」であるべきだ。
本当の「我が儘」とはそう云うこと。
「ありふれた」は 自らで紡ぎ出す。
「愛は感動 慣れは愚鈍」。
そんな風に俺は思う。