さりげない押し付け

資本主義に依って刷り込まれた暗黙の心地好さ──それを「さりげない押し付け」と呼ぶ。

本人にとって都合の良い足ながおじさん的な一方向からの押し付けを脊椎反射的に人は好む。

理由は一点。

「当人にとって都合が良い」からだ。

そこに…世間で認識されるところの…「我が儘」を垣間見る。

一事が万事。
人は誰もが…根幹的には…エゴイストであるにも関わらず、一様に綺麗事で塗り固め、それを隠蔽していることにすら気付いていない。否、気付きたくない、だけなのか。

それは「当人にとって都合が悪い」からだろう。そんな尤もらしい理由が事もなく浮上する。


我が魂の命ずるままに──。


揚げ足を取れば、この題目すら反面的な定義として覆される。その可能性は否めない。

それでもなお綴ろう。

我が魂の命ずるままに──。


2006年06月01日10:32 vincent.

良い影響、悪い影響。
「影響を及ぼす」と云うことについては、どちらもその定義に準えている。

「対」

概念ひとつ取っても、あらゆる事象はすべて対で構成されている。片方だけでは立証・成立し得ないのだ。

故に「ふたつでひとつ」とは「矛盾・両極を併せ呑む」と云うことに他ならない。

どちらか一方に非道く傾ぐような向きに「ふたつでひとつ」を望むことは許されない。否、望むのは自由だが、叶うことはないだろう。

独白につきコメント不要。それでも綴りたければ、我が魂の命ずるままに──。

2006年06月06日00:07 vincent.

明らかに優劣は存在する、とは、表層のことを差している。ほんの薄皮1枚のことを云っているつもりだ。

魂に優劣はない。あろうはずがない。そんな風に感じる。

自身が魂を賭して臨んでいないにも関わらず、安直に「差別だぁー」などと括ってしまう味噌っカスの遠吠え。そんなが一体誰の魂に響くのだろうか?

やはり、真剣味の足りない者には「真」は掴めないのだろう。本質を追うスタンス。否が応にも胆に銘じたい。

___ spelt by vincent.