例えは何でもよいのだが、結果的にA案とB案と云うふたつの案が立つ、と云うことを仮定する。
そして、それらをどのように着地させるか、と云うプロセスをシミュレートしてみる。
──折衷案と妥協案と代替案について、である。
少し輪郭を持たせてみる。
A案は100万円。B案は50万円。
では、間を取って75万円で。
分かりました。それで行きましょう。
──これが「折衷案」。
では、A案とB案が対極にあるような場合はどうだろうか。
A側「いやいや、そんなことは呑めないよ…」
B側「私もそんな条件では首を縦に振れないよ…」
着地点一向定まらずの膠着状態。
どのように着地させるべきか。
討議の末、
A側「では、あなたのそれは呑むが、ここだけは譲れない」
B側「では、それを呑むから、こちらのここだけは通して欲しい」
このような条件提示がお互いにされ、何とか着地する。
──これが「妥協案」。
僕が望むのは、このうちのどちらでもない。
つまり「代替案」を望む訳なのだが、代替案とは一体何を差すのだろうか。
A案でもなくB案でもなく、C案で着地する。
──これが僕の定義する「代替案」である。
折衷案のような中途半端感もなく、妥協案のような片輪走行感もなく、両者が競合することのない領域で着地する。
そして、その着地点を両者が気持ちよく納得し、ああ、今まで何とも盲目だったことか、と嘆くような──
何とも素晴らしいことではないか。
前人未到の地、と云っても過言ではない。
僕は「未だ見ぬ新しい驚き」と呼んでいる。
残念ながら、そんな目を瞠るような代替案に触れた感触は今まで味わったことがない。
その殆どが、折衷案と妥協案のいずれかで落ち着くことで終始しているように感じる。
例えば、A案と云う、既に出来上がったシステムの競合として、B案と云う新たなシステムをぶつけてみる。
後発の有利性からか、すこぶる優秀なシステム、また、A案の機能は網羅している、と仮定する。
つまり、優劣の比較論である訳だが、果たして、うまくゆくだろうか。
否、経験則上、このB案が通る可能性は低いと感じる。
何故だろう。
B案の持つ優秀さやポテンシャルを理解できないのが1点。
或いは、A案と云うシステムから脱却できず固執する、と云う柔軟性の低さに阻害されるケース等々。
これ以外にも原因その他を挙げれば、枚挙に暇はないほど考えられるからだ。
要するに、面倒なことは面倒なのだ。
「いいじゃん、これで回ってんだからよぅ。うるせえ奴だな〜」
故に、「提案」と呼ばれるものの着地点の大半が「メリットとデメリット」或いは、「損か得か」と云う天秤、つまり、比較論の末、折衷案か妥協案で落ち着くのだ、と考えられる。
本当につまらない。
一条の光さえ差し込まない。
未だ見ぬ新しい驚き──。
今、僕が興味を抱いているのは、この1点。
ではあるのだが…
僕は、僕の定義する代替案を望み、求め彷徨い、僕の目の前の折衷案と妥協案の中で揺蕩っている。
な? 結局、妥協案で落ち着いただろ? 苦笑
I can't get no satisfaction!!!!!
そんな感じで♪
コメント (1)
この75万円で着地した状態がC案、ということで代替案として捉えることができるが、飽くまでもA案B案ありきの金額設定なので(僕の定義している)代替案とは言い難い、としている。